何度か見舞った帰り際、「父さん元気そうだから、私安心して大阪帰るね」と言うと、「おお、今度きたらうまいもん食べにいこうな」と握手をしました。それが父との最後の会話です。母はその数年後、亡くなりました。

母の遺品から、私は小さな赤い手帳を持ち帰りました。開くと、私と妹が転居するたびに新しい住所が、母の細かい字で書き加えられているのです。家に行くためのメモでしょう、「京都駅で〇番線に着いたら、青い電車に乗り換えて」とびっしり書き込まれたひらがなを見て、私はすぐ妹に電話をしました。

「大人になってから親に心配をかけたつもりもなかったけれど、母さんのあの字を見たら、なにかあったらいつでも飛んでいこうという親心に溢れていて胸がいっぱいになったョ」

20年以上前のことですが、そう言って2人でひとしきり長電話したことを思い出します。

 


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