三十代の半ばくらいから、ふとしたランチの際に、「どうして」と母親から問われることが増えた。

 どうして? あっちゃんにはなにか、お母さんの知らないこだわりがあるの?

 そのたびに敦子は「ない。全然ないよ。どうしてだろって私が一番思ってる」と苦笑してみせた。

「ただ、出会いがないんだよ」

「百貨店なんて、人が大勢いる勤め先なのに?」

 母親は困惑まじりに眉をひそめる。

「なんて言ったらいいのかな。そりゃ、中には社員同士で結婚する人はいるけど」

「あっちゃんと別の百貨店に勤めている知り合いの息子さんはすぐに結婚して、お嫁さんを連れてきたよ?」

「うーん、取引先の販売員さんは若い女性が多いし、男性社員は割と出会いがあるかな。転勤も、お相手さんが仕事を調整してついてきてくれることが多い」

「なんなのそれ」

「とにかく難しいんだよー」

 敦子はずっと、自分のことを癖のない平凡な人間だと思っている。クラスで目立つタイプではなかったし、強くなにかを望むこともなければ、拒むこともなかった。

 高校では三年間、雰囲気の穏やかさで選んだ女子バドミントン部に入っていた。大体いつも、女子に人気の明るくて人なつこい男子を好きになり、しかし自分から行動を起こすことはなかった。大学で一度、酒の席で告白してくれた男子と付き合い、しかし粗野な言動が気に入らず、数ヶ月で逃げるように別れた。大学一年の頃からホームセンターでアルバイトを始め、特にいやなことがなかったため卒業まで続けた。一つのアルバイト先に長く勤めたこと、接客に慣れていて、お申し出への対応が苦ではないことが面接で評価され、氷河期時代の就活戦線をくぐり抜けて福来屋へ入社することができた。

 自分を平凡だと思うからこそ、そこそこに働いて、そのうち結婚して、子供を産んで、なんだかんだ忙しくて納得感のある人生を送るのだろうと思っていた。

 まさか、毎日せっせと働き続けるだけで、四十代を迎えるとは思わなかった。

 結婚しない代わりに仕事で功績を立てたのかというと、そうとは思えない。自分よりもずっと百貨店勤めが向いている同期は山ほどいた。休日でも売り場作りに顔を出すほど、販売の仕事が好きで好きでたまらない人。天性の愛嬌で周囲を巻き込み、大きなプロジェクトを成功させる人。まだ言葉にされていないお客様のニーズを察知し、売り場にそれを落とし込んで結果を出す人。彼ら彼女らはみるみる出世し、人によっては部門まで新設して、福来屋グループの未来を切り拓いている。

 そんな超人には到底なれず、自分は店頭に立ち続けているだけだ。小売業において現場はなによりも大切だとわかってはいるけれど、同時に、自分の代わりはいくらでもいる、と気が滅入るたびに思ってしまう。

 たとえば学生の頃から人と話すより研究室にこもる方が好きで、現在もマレーシアでせっせと新薬の開発をしている偏屈な友人のように、あるいは、障害を持つ姪が憂いなく働ける場所を作ろうとベーカリーカフェを立ち上げた闊達な友人のように、「この仕事がしたい!」と強い意志を持って生きられていたら、こんな風に悩まずに済んだのかもしれない。

 仕事が特別できたわけではないし、自分を選んでくれた運命の伴侶や、苦労してでも幸せにしようと思える子供がいるわけでもない。ない。ない。強く握りしめて、私も立派だ、と胸を張れるものがない。素晴らしいものをたくさん持っているように見える友人たちを見ていると、ときどき胸が苦しくなる。

 編み物に出会ったのは、そんな時期だった。