父の悪口はこれぐらいにして、何が言いたいかといえば、そんなイラチな父が七十歳になったとき、「もう残る人生、そう長くない」と見極めたことだ。残る年月、義理の会合や冠婚葬祭などで時間を潰されるのはまっぴらごめん。意を決し、『断然欠席』というタイトルのエッセイ集まで出したほどである。

いつのまにか、私はそのときの父の年齢を過ぎていた。父が七十歳になった頃と比べれば、日本人の平均寿命ははるかに延びて、今や百歳以上の高齢者数は十万人に到達しようという勢いだ。人生百年時代は現実のものとなり、七十代の方の訃報に接すると、「まあ、お若いのに……」という言葉が自然に出てくるようになった。

しかし、というか、だからこそ、なのか、私は父ほどの心境には至っていない。これからやりたいことが山のようにあるとか、気力体力は万全だとか、そういうことではない。死ぬのはまだはるか先と若者ぶっているつもりもない。今の健康を維持して、不慮の事故にでも遭わないかぎり、極めて楽観的に考えれば、あと十年か二十年ぐらいの寿命であろう。十年。過去十年の長さを思えば、あっという間のことである。父のように、「残る人生」について、少しは真剣に考えるべきかもしれない。ところがこれが、ちっとも考えようとしないんですね、私は。

小さな老化を日々、感じる。階段を下りる際、ときどき膝に痛みが走る。とうとう来たかとかすかに暗い気持になる。歩行が困難になったら急速に老化は進むだろう。

食事中にしゃっくりが止まらない。母が七十代の頃、食卓でしきりにしゃっくりをしていたことを思い出す。飲み込む力が低下しているせいだと聞いた。これも老化の一つ。

人の話を聞き間違える、あるいは聞き取れないことが増えた。補聴器をつけなければと思うほどの不具合ではないが、これ以上、聞き取れなくなったらインタビューの仕事はやめなければなるまい。