両親の命日が近かったので、年に一度、4月の母の命日に合わせてお参りに行くのが精一杯。お彼岸の時期には、霊園に出入りする石屋さんに墓掃除をお願いしていましたが、そのときまでずっと、僕が手向けた花が萎れ、茶色く枯れたままになっているのかと思うと、たまらなく寂しい気持ちになりましたね。

僕の妹は嫁ぎ先の墓に入るわけですし、千葉のお墓をこの先、どう維持していけばいいのか。ゆくゆくは自分も千葉に埋葬されるのか――。20年ほどそんな状況が続いたので、妻と相談して墓じまいしよう、と決めました。妹も「それでいいんじゃない」と賛同してくれました。

当然次に考えるべきは、自分たちが入るお墓のことです。僕は医学者ですし無宗教なので、そもそも死後に自分の意思は存在しないものと考えている。お墓の必要性も感じておらず、自分が死んだら散骨してもらえばいいだろう、くらいに思っていました。

ところがお正月、わが家に集まった息子たちにその話をしたら、意外なことに大反対されてしまった。僕には息子が4人いるのですが、仙台で暮らす3人からはっきりと「お参りできる場所がほしい」と言われたのです。

実に不思議でした。そのような宗教観を、彼らはいったいどこで学んだのだろう。そもそも両親の墓参りにもほとんど連れて行っていなかったわけで……。

ただひとり、仙台を離れている長男は「我関せず」なタイプなので、「『仙台組』にそこまで言われたら、しゃーねぇな」という感じでしたが(笑)、これを機に、僕は改葬を決めたのです。