吉田名保美と黒柳徹子。「『窓際のトットちゃん』出版─感謝の会」にて。1981年頃(提供/吉田事務所)

徹子ちゃん、子供産まない?

うんと若い頃にね、森さん、「徹子ちゃん、子供産まない?」って私に仰って。びっくりしました。「徹子ちゃんが子供産んだら、私育ててあげるから。あなた忙しくてダメなら、私が育てられるから」って。その時は、産む頭もなかったんだけど、誰かがいるとかそういうこともなかったんだけど、森さんはなぜだか「産んで」って。

どうしてかっていうとね、「徹子ちゃんの子供はきっと面白いに違いない」って。そんなこと言われたことはなかったので、びっくりしましたし、森光子さんて方は本当に優しい方でね、同業の女優にそんなこと言うなんてね、普通はないでしょ。男なら話は別でしょ。「俺の子供産んでくれ」って。(笑)

ニューヨークに行ってるときもね、こんな大きい字で、「お小遣い困っていませんか。いつでも送ります」ってお手紙いただいてね。「こんないい人、芸能界にいるんだ」って。ニューヨーク行って何やってるかわかんないような人に、おんなじ女優さんが手紙書いたりしませんよ、普通は。私ちょっと泣きました。優しいって。

女優同士で珍しい存在だと思います。

森さんも私は裏切らないって、思ってらしたのだと思います。それは出会いから最後まで変わらなかった。

 

ふと「すごく寂しいわ」

——2008年11月初旬、黒柳徹子は自身の舞台『ローズのジレンマ』出演のために滞在していた大阪で、フェスティバルホールの『放浪記』を観劇した。森の体調を案じてのことだった。

あの時、森さんはぎりぎりだった。

セリフを出す声がね、吐きだす息でセリフを言っているみたいな風でしたね。普通セリフは押し出しているものじゃないですか。それで、ああ、どうなのかなと思いましたけど。森さんだからやるだろうとは思ったけど、長丁場ですものね。

——その夜二人は、森の宿泊するホテルでルームサービスの夕食を共にした。

森さんがふと『すごく寂しいわ』って仰ったの。それでも私、森さんは強い人だと思ってたから、もう少しお話なんかして『それじゃ私帰りますね』って、自分のホテルに帰ろうとして廊下に出た。すると、森さんがわざわざドアのところまで来て『さようなら』って。

いまだに思うのよ。どうして私あの時泊まってあげなかったのかと……。ベッドでもなんでも持ってきてもらって、一緒の部屋で寝ればよかったと思うんです。私も自分の公演があるからと思ったのか何を思ったのかわからないけれど『じゃあ行きますね』って。森さんはすごく長いこと廊下を歩いている私を『さようなら、さようなら』ってドアのとこで見送ってくれた。いまだに後悔です。後々に考えてみると、森さんはね、あの時耐えられないぐらいの孤独だったように思うの。顔は笑ってたけど……。

あんな森さん見たことないわね。寂しそうだった。