『放浪記』より。森光子演じる林芙美子と、奈良岡朋子が演じる日夏京子。(提供/東宝演劇部)

『放浪記』中止発表の後に

——当時90歳だった森は、2011年に迎える『放浪記』50周年に向けて、体力づくりを始めていた。篠山紀信氏に頼んで、旧友の茶道裏千家大宗匠の千玄室氏との対談で写真を撮ってもらい、テレビカメラの前で90歳のスクワットもして見せた。ウイスキーのコマーシャルに登場したし、NHKでミス・ワカナや戦争の話もした。すべては再び舞台に立つ日を信じてのことだった。しかし、50周年の『放浪記』は実現しなかった。森は、周りの者にその心境を一言も語らなかった。盟友、黒柳徹子はマネジャーに頼んで、次の年のスケジュールを空けて待っていたが、東宝から依頼は来なかった。黒柳も森へ、次回の『放浪記』のことに触れはしなかった。

——森が亡くなる年、黒柳へ最後に届けられたFAXにはこのように書かれていた。

「私は あなたと また野菜カレーを食べに行きたくて リハビリをしています」

——森の舞台を黒柳が観に来た時、また二人が『放浪記』に出ていた時は決まって、芸術座から道をまたいで帝国ホテルのダイナーへ行き、野菜の蒸し焼きが綺麗に並べられたカレーライスを注文し、チキン入りのシーザース・サラダをシェアしていた。黒柳はすぐにFAXを返したが、普段ならすぐにくる返事はここで途絶えてしまった。森の心中を思いやった黒柳は、電話や見舞いはあえてしなかったという。

もし来てほしければ、この私にだったら遠慮なしに『来て』って言ってくるだろうと思ったし、言わないんだから、今は来てほしいと思ってないんだろうな、と。女優は元気にならなきゃだめなのって言われたような気がしました。

——黒柳は、その後もFAXを送り続けた。