現在発売中の『婦人公論』5月14日号で、表紙を飾っていただいている黒柳徹子さん。衣装は、アンティークの着物をドレスに仕立て直したものだそうです(KEIJI TAGAWA HAUTECOUTURE)。「黒柳さんと着物」といえば、インスタグラムで話題になった、振袖でニューヨークの街を歩く写真(上掲)。当時39歳、1971年9月から1年間、仕事を休んで留学していたのです。充電期間を終え、帰国したばかりの黒柳さんが本誌に明かした実感とは。現在発売中の号とあわせてお楽しみください。

ひとり暮しに少し自信を持ち、洋服を2着半とセーターを1枚つくり、芝居はあんまり見ないで、そのかわりいろんな人生を見て、私は、アメリカから帰ってきたのです

初めて日本にパンダがくる

ご存じかどうか。

私は、女優としてよりも一部では、パンダ研究家として知られているような人間なものだから、今度、中国から、パンダをいただくこと*になり、たくさんお問いあわせがあったりしました。

いま、世界の動物園にいるパンダは、17匹ということになっているわけですね。で、その動物園にいるのが、日本へくるのか、その数に入っていない、北京郊外の養殖場からコドモがくるのか、それともワシントンのように野性のがくるのか、それは私、知りませんけれど、番(つがい)をくれるということは、将来、コドモが生まれるということを、見込んでのことだと思うので、そういうことから考えると、責任は、ものすごく重大です。

まあ、日本人は、中国人と同じような顔をしてるから、あんまり、パンダはアメリカ人を見るようには、ビックリしないかもしれないし、好物のササやタケノコがたくさんあるのもいいことだと思うけれど、責任は、やっぱり重大です。

というのは、パンダっていうのは、2匹いるからって、必ずしも仲が良くなるってもんじゃなく、非常に相手を選ぶ動物なのね。4匹メス1匹オス、という組合せが、中国の動物園にあったけど、全部のメスが、そのオスはイヤだっていったがために、オスはどうしようもなくて、まったく無用になって、よその動物園へ連れて行かれたって話が、あるくらい。好き嫌いがとても激しいから、とても大変です。

それと今や、パンダをくれるということは、中国が、政治的にいって、どれだけその国を大切にしているかという証(あかし)と思っていいくらい。パンダってのは、いまはもう、価値があるものになっているんです。

だから、私は、アメリカがもらったパンダをワシントンまで見に行った時に、「中華人民共和国からアメリカの皆さんへあげます」と、墨でくろぐろと中国語で書いてあるのを見てね、とってもうらやましかった。

そして、同時に政治というのは、恐ろしいもので、いつどこで、どう手を握るかわからない。中国はアメリカと手をつなぐことが必要なんでパンダを贈ったけど、日本は、ずいぶん前から、パンダをくれっていっているのに、くれる気配もなくて、とうらやましく、また恐ろしいと考えたのでした。

だから、今度の話を聞いた時、うれしいのと同時に、とても複雑でしたね。

だけどそれはとにかく、パンダが日本へきたら、なんとかタダで見せるようにはできないものか、などとも考えたりしているうちに、帰国のご挨拶が、遅れてしまいました。
で、タダイマ。

*日本に初めてジャイアントパンダが来たのが1972年11月。カンカン、ランランと名付けられ、上野動物園で飼育されることに。