そんなわけで、男の人が、いつもどこへでもつれて行ったり、仔猫チャンといったり、あの、たいていはダブルベッドなんだけど、ダブルベッドに寝たり、という生活をしていている……。
それだから夫が死んだら、もうメチャメチャになっちゃうのね。もう「仔猫チャン」なんて、誰もいってくれないから、淋しくて、淋しくて。「欲望という名の電車」とか、アメリカの映画によく出てきますでしょう。淋しくてしょうがないから、もう、どんどん人に話しかけちゃうわけね。私なんか、どのくらいお婆さんから、話しかけられ、意見を求められ——意見たって、「今日は寒いと思うけれど、アンタはどう思うか?」とか、道なんか犬が歩いていると「私はこの犬、大嫌い、アンタも嫌いでしョ」とかいうようなことなんだけど。そして、道路を横切るのがコワイからついてきて、とか。子供なんか、みんな独立して、それが慰めにきてくれるなんて期待できないんですもの。
それにくらべると、日本のお婆さんはお爺さんが「仔猫ちゃん」なんていってくれないから、一人になっても気が狂わないんでしょう。そのかわりじっと耐えて、うちにこもっているから、お気の毒に自殺ってことになったりする。その点、アメリカのお婆さんは、自殺しないと思うのよ。だって、気が狂ったように、だれかれとなく「私の主人は死にました」って、泣いてなぐさめてもらうわけね。いま、死んだのかと思ったら、それがもう、5年前なんだって。
それを見て、たまらなくてね。人間て、どうしたって、歳をとっていくものでしょう。どう、うまく歳をとって、うまく死ねるか。難しい。
アメリカで、私が習った歌の中に
hard to live
but hard to leave
というのがありました。この世は、生きるのも難しいし、死ぬのも難しい。人生って、そんなもんじゃないかと思うのです。
前から思ってはいたけれど、じーっとだまってよその人の人生を見ていたら、余計、その絶望感は強くなりました。
ダマされるほど私も、若くはない
今度は明るい話です。
人間として、自分の年代年代で、魅力的な人になりたい。女優をしていようといまいとやっぱり人間が大切なんだ。人間味が大切なんだ、と思ってきました。
ところが、俳優なんていうのは、芸さえありゃあ、人間なんか悪い方がいいくらいだって話を、昔から聞いていました。
私は、平凡な考えかもしれないけれど、人を傷つけ、踏みつけ、それで舞台の上で、いい芝居をしたからって、それが何になるだろうと思っていました。だって、後で、あの時あんなに人を踏みつけたり、押しのけたりしなければよかったなんて後悔するようになったら、辛いじゃない。だから、いい人でありたいと、思っていました。
私、むこうへ行ってね、ブロードウェイでいちばん、いい俳優という、ゼロモステル(1915 - 1977)という人に逢いました。「屋根の上のヴァイオリン弾き」の主役を最初に演って自分がやめても、その役はモステル風として、八年半も他の俳優にうけつがれたのです。典型的なユダヤ人の俳優でね、喜劇俳優としては天下一品だし、人間的な心理的演技をして、笑わせて、泣かせる人。
それから、ヘンリー・フォンダ(1905 - 1982)にも逢いました。私、映画で見ていた時は、この人、わりと冷静な俳優だと思っていたんだけれど、そうではなくて、舞台で見た時、冷静なように見えるんだけれど、ものすごい情熱が、中で燃えているような俳優でね。こういう俳優を初めて見たから、とてもビックリしたのです。そして、素顔のときは、66歳と思えないほどセクシーで。
それから、キャサリン・ヘプバーン。こういう、いわゆるいい俳優に逢って、どの人にもいえることは、人間的魅力が、あふれるようにあるということ、どの人もやさしい人であるということ。
このヤサシサっていうもの、人のことは、だませないものでしてね。たとえば、日本からきたから、その時だけやさしく見せようなんて思っても、やっぱり、そうダマされるほど私も、若くはない。