キャサリン・ヘプバーンにしても、あんな大スタアなのに、なんていうのかしら。ふつうの人で、若い時は、ケンカ早くて、日本でいうなら「ゴテキャサリン」て渾名があったというけれど、いまは、一緒に出ている若い俳優から尊敬されている素晴らしい人間だということが、舞台全体に、にじみ出ているのね。
そんなふうな、やさしくて、愛情があふれるようにあるって人を何人か見たのが、私のこの1年のいちばんの収穫でした。俳優というのはね、人が悪くて、イヤな人、といわれても、芸さえありゃいいってもんじゃないってこと、よくわかりました。
やっぱり、人がよいばっかりで、いい俳優になれなかった人が、たくさんいるってこともわかるんだけれど、最終的に残るのは、大事なのは、その人の人間性なのね。芸は人なりってこと、昔からあったけれど、今度、それがはっきりわかったのでした。
これから、女優を続けていく上で、いや、そうでなくても、とにかく、人間的でありたい。偉大な俳優に逢って私の考えのまちがっていないことが、はっきりして、とてもうれしかったのです。
妊娠したとの噂が週刊誌に出て
そうそう、私がいない間、妊娠7ヵ月である、という噂が、週刊誌に出ました。こればかりは、どうして出たかナントモカントモ、私には、わからないんだけれど、まあ、どうしてもっていえば、私の着ていた服が、このプアッとした妊娠ルックみたいなのだったからかしら。
週刊誌が、問いあわせてきて、むこうも、それが本当じゃないってこと、わかって、きいてきているんですものね。私は、想像妊娠ていうのは、母親が、自分のお腹に子どもができたと、想像するものだけど、よその人がよその人のお腹のことを想像するのも、想像妊娠ていうんですか? なんていったんだけど。
その時、哀しかったのは、記者の人が、このごろ、お父さんが居なくて子どもを産むのが、流行ってますからね、といったこと。
それが、私、ちょっと哀しくてね、あれは流行りもんなんですか? っていったんだけど。
週刊誌の在り方、になると、また、話は長くなるけれど、オトウサンガ居ナイデ子ドモヲ産ムノガ「流行ッテイル」といういい方がとても哀しい気がしてね。しかし、その時、そうだ、本当にまあ1年も仕事を休んだのなら、子どもが1人、産めたのかな、と思ったのでした。
子どもといえば、子どもの時、私は、10人子どもを産むと友達に、宣言しました。そして、それ以上、産まれた子は、風船をつけて飛ばしてしまうといって、みんなからケイベツされました。でも、今、この東京に帰って汚い空を見ていると、もし、子どもがいたら、風船をつけて、どこかきれいな国へ飛ばしてやれたら、とさえ思います。
この恐ろしい文明の中で、自分も判らない明日に、子どもの手をひいてむかっていくのはとても難しい。でも、やっぱり、自分の見られない未来を、自分の愛した人との間に出来たものに、しっかり見てもらいたいと思ってもいるのです。
※見出しは読みやすさのため、編集部で新たに加えています
黒柳徹子さんが表紙の『婦人公論』好評発売中!
中面のインタビューより
「私がテレビ出演の仕事を始めたのは、昭和28年。平成をはさんで令和まで、3つの時代を通してずっと仕事をすることになるなんて、考えてもみませんでした」(表紙の私)
「新しい時代に始めてみたいことは?」という問いに、黒柳さんの答えはなんと「100歳の時に政治記者になりたい」! エネルギッシュなインタビューは、本誌でご覧ください。