「突然母が、『私ね、15の時から、女優やってるの』と言い出したのです。正直、びっくりしました。15から女優をやっているのは、母ではなく、私ですから」(撮影:大河内禎)
女優の原田美枝子さんが制作・撮影・編集・監督を務めた映画『女優 原田ヒサ子』は、自身の母を主役にした短編ドキュメンタリー作品だ。認知症が進んだ母の生涯を、映像に残そうとした理由とは(構成=篠藤ゆり 撮影=大河内禎)

ある日飛び出した意外な一言

90歳になる母に認知症の症状が表れ始めたのは、80を過ぎた頃です。キャッシュカードの暗証番号がわからなくなることが何度か続き、そのたびに一緒に銀行に行ってカードを作り直しました。

当時まだ父が健在で、両親はうちから歩いて20分くらいのところに住んでいました。なんとか二人で生活できていましたし、私も仕事が忙しかったので、きめ細かく面倒を見る余裕がなくて。母の症状も、年齢とともに物忘れが少しひどくなったのかな、くらいに思っていたのです。

その後、父が食道がんになり、入退院を繰り返すようになりました。父は「病院にいるのはつらいから、もう治療はいい。今度具合が悪くなっても、家にいたい」と。その後、長く寝込むことはなく、亡くなりました。それが2014年のことです。

時には喧嘩をしながらも、父の世話をすることが、母にとって張り合いだったのでしょう。一人で食事をし、私やヘルパーの方が訪問する時間以外は会話をする相手もない生活を続けるうちに、母の様子が少しずつ変わってきました。

父が亡くなって1年くらいたった頃、母は脈拍が弱くなり、緊急入院。2日ほど意識が朦朧としていましたが、症状が落ち着いたら突然、「私ね、15の時から、女優やってるの」と言い出したのです。正直、びっくりしました。15から女優をやっているのは、母ではなく、私ですから。でも、あまりにもその言い方が自然だったので、「そうなんだ」と答えることしかできませんでした。

1週間ほどで退院できましたが、一人暮らしは心配なので、施設に移ることに。施設では、絵やお習字など、さまざまなレクリエーションの時間があります。母を訪ねた時に、「今日、何したの?」と聞くと、母は日によっては「取材」とか、「みんなとお芝居やっているの」と答えます。娘の人生と自分の人生がオーバーラップしているんですね。

「自分の人生の一番充実した時代の記憶に戻る人は多いけれど、自分以外の人の記憶を語るのは珍しいことですよ」と、介護士さんに言われました。