仕事を続けられたのは母のおかげ
映画を撮ろうと思ったことをきっかけに、私は改めて自分自身のことも振り返りました。そこで気づいたのは、私が生まれた時、終戦からたった13年しかたっていなかったということ。生まれた頃はテレビも電話もありませんでした。今からは考えられないような生活です。
私が小さい頃の写真を見ると、原っぱにぽつんと立っている写真でも、これから世の中がよくなっていくという希望や、前向きな明るさが見えてきます。高度成長期の日本の空気感が、写真に残っているんですね。
私は小学校4年の時、実在の日本人バレリーナを題材にした伝記漫画を読んで、どうしてもクラシックバレエを習いたくなり、母にせがんで教室に通い始めました。それなのに、中学1年で早くも挫折。
そんなとき、『小さな恋のメロディ』という映画を見たのです。本当に素敵な作品で、スクリーンの中が光って見えた。「これだ!」と心が震え、そこに飛び込みたいと思いました。その時も母は、「じゃあ、やってみれば」と背中を押してくれました。
15歳で女優デビューしてからは、母は心配の種がつきなかったと思います。なにせ私は傲慢で、本当にひどいヤツでしたから(笑)。当時は、自己主張が感じられる新しい女優像が注目されていた時代。桃井かおりさんや秋吉久美子さんといった先輩方が、キラキラ輝いていました。ですから、そういうふうにしているのがカッコいいと思って、ちょっぴり背伸びしていたのかもしれません。
それに若くしてヌードにもなっていたので──もちろん信念があって堂々とやっていたのですが──色眼鏡で見る人も多かった。だからハリネズミのように針を立て、常に戦闘モードで人を寄せ付けないオーラを出していた。メディアに潰されないように、とも思っていたのです。そして家でも、ちょっと突っ張った態度で母に接していました。当時を思い出し、今は懺悔の日々です。(笑)