『中野京子の西洋奇譚』(中野京子:著/中央公論新社)

大人がいると妖精は出現しないから

第一次世界大戦真っ只中の1917年、コティングリーで起こったことは――この村に住む16歳のエルシー・ライトと9歳のフランシス・グリフィスは仲良い従姉妹どうしだった。いつも川辺で妖精と遊んでいると主張し、その証拠に写真を撮りたいと、エルシーの父親からカメラを借りた。そして「フランシスと4人の踊る妖精」「野原に座るエルシーと1人の妖精」、この2枚を写した。現像は父親が行ったが、彼は本気にせず、もうカメラは貸さないと言い渡す。ここで終われば騒ぎはない。

2年後、妖精を信じるエルシーの母が神智学協会に参加し、皆に写真を見せて驚かせた。それはすぐ同会主要会員のエドワード・ガードナーに伝わり、彼が写真を入手したことから、翌1920年、この事件のもう一人の主役ホームズ、もとい、アーサー・コナン・ドイルの知るところとなる。ドイルはガードナーに確認を頼み、コティングリーへ行ってもらった。

ガードナーは少女たち(と言ってもエルシーはすでに19歳になっていた)に2台のコダック製カメラを与え、妖精の撮影をまた試してほしいと頼んだ。彼女らは大人がいると妖精は出現しないからとガードナーの同行を拒んだが、写真は撮ってきた。3枚に妖精が写っていた。これで前のと合わせて5枚だ。

ドイルはコダック社に調査を依頼し、「写真に偽造の証拠は見られない」との回答を得た。同年クリスマス、彼は雑誌に「写真に撮られた妖精たち」の一文を寄稿。世間は騒然となる。この時60歳のドイルはナイトの称号をもつ貴紳であり、何よりホームズの生みの親として人気と信頼は絶大だった。

もちろん否定派はいた。妖精たちのファッションがいかにも今流行のものであり、動いているようにも見えず、またコダック社の回答をよくよく読めば、現像過程での合成ではないというだけで、「目の前にあるものは全て写っている」というにすぎず、真贋の判定にはなっていない、等々。

ドイルは意に介さず、1922年には『妖精物語 実在する妖精世界』を上梓し、コティングリーの妖精にも触れて曰く、感知できなくとも存在するものはこの世に多い、妖精は実体のない霊的なものなので霊力をもつ人間、とりわけ純粋な子どもにしか見えない、贋物があるからといって、本物を否定する理由にはならない。