ドイル死去から半世紀以上経ち…
こうした論は、森羅万象全てに神が宿ると考える日本人には通じやすい。亡くなった人は仏様だし、巨大な古木は御神木になり、コロポックルや座敷童、河童や狐狸妖怪もいる。誰もがどこかでそれを――完全に、とは言えないまでも――信じている。しかしだからといって、もし著名な文学者がいかにも胡散臭くさい河童の写真を、純真な子どもが撮影したのだから本物だと認め、一冊の本まで書き上げたとしたら周囲はどうするだろう? 賢明な者は口をつぐむのではないか。
ドイルに対してもそうなった。多くの人は公には反応せず、妖精画家や妖精物語の作者は沈黙した。相手は傷つきやすい年ごろの少女たちとホームズの作者なのだ。しかもドイルはアイルランド系でスコットランド育ちと、超自然的な事柄に特別親和性のあるケルトの血筋だ。父親も伯父も妖精画家だった。その上この戦争でドイルは息子、弟、妹の夫など、親族をおおぜい亡くし、心霊術や神秘主義への傾倒をいっそう強めていた。攻撃しにくい。
コティングリー事件への関心は急速にしぼんでゆく。同時に、そして皮肉なことに、あれほど盛んだった妖精への嗜好まで薄れてしまう。妖精画の需要も激減し、専門画家も減る。こうして事件はいったん忘れられ、長い月日が経った。
ドイル死去から半世紀以上も過ぎた1983年、『タイム』誌に元少女たちの一文が載り、次いでテレビ出演もあった。かつて少女であった老女2人は、次のように告白した。ほんとうに妖精と遊んだのに疑われたため、トリックを思いついた。雑誌で見つけた女性ファッションのイラストを厚紙に模写し、翅(はね)を描き加えて妖精に変えた。それを切り抜き、ピンで木の枝や葉に留め、撮影した、と。
コダック社が言ったとおりである。二重映しでもなければ現像時の細工でもない。カメラは実際に目の前に「あるもの全て」を写しただけなのだ。乾板を使う旧式カメラなので技術的にはいくぶん難しかったらしいが、実はエルシーはカメラ店でアルバイトをした経験があった。美術学校へ通ってもいたので絵も巧みだった。
なぜ早く真実を語らなかったかという無粋な質問に対しては、ドイル氏の名誉のためだったと答えている。
そして言うのだ、5枚目の写真だけは本物だし、妖精を見たのもほんとうだ、と……。
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