2020年4月30日に退院。その後6月4日に「完全寛解」の診断が下りた。オフィシャルブログ「笠井TIMES~人生プラスマイナスゼロがちょうどいい」にも日々の闘病を綴った

なるべく明るい色の服でお見舞いに

 われわれメディアの人間は、著名人のがんを報道する場合、ステージを明確にしたがるよね。ところが先生がステージの話をまったくしないので、入院直後の治療方針のお話の時に、僕のほうから「ステージはいくつですか?」と聞いたら「IV(4)です」と。それで「えぇっ!」と、精神的にまいってしまった。でも、あの時もますみは冷静だった。

 私は報道記者だったので、物事を客観的に見るように習慣づけているところもあるし、本人はたぶんオロオロしているだろうから、私がきちんと先生の話を聞こうと思ったのです。それが私の役割だな、と。先生は「悪性リンパ腫というのは、数ではない。1個だから大丈夫、3個だから難しい、ということではありません」とハッキリおっしゃった。抗がん剤の治療で、どれだけ効果が出るかだ、と。だったら大丈夫! と、信じることができたのです。

 長男も一緒に先生の話を聞いてくれたけど、その後、「ステージIVというのは3人だけの秘密にしよう。次男、三男や、僕の父、母にも内緒、そしてまわりの人にも知られないようにしたい」とお願いしたね。なぜかというと、メディアというのは悲しいかな、印象の世界なので。ステージIVという部分だけ切り取られ、見出しがバーンと出ただけで、「笠井はもうダメなんだ」と思われるに違いない。それがイヤだった。2人とも理解してくれて、完全寛解と診断が下るまでその秘密を守ってくれて、ありがたかったよ。

 結果的に、これでよかったと思う。

 「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」には定番の治療法があるけれど、僕は悪いタイプだったので、定番の治療法ではなかったんだよね。一般的にがん患者は、抗がん剤を投与している間だけ入院したり、通院しながら抗がん剤治療を受けるケースもけっこうある。でも僕の場合は、通常より強い抗がん剤で、投与後は白血球を増加させるための注射も毎日しなくてはいけない。そこで6回の抗がん剤治療を終えるまで、4ヵ月半ずっと入院することになった。

 私にできるのは、治療に向かうためのエネルギーや免疫力を高めることしかないと思っていました。看護や介護をする側も、どうしても暗くなりがちだから、夫も自分も気持ちを上げるために、服もなるべく明るい色のものを着ようと心掛けていました。

 ただ、新型コロナウイルスが蔓延してくると、僕にうつしてはいけないという気持ちから、ますみの精神状態も変わってきたよね。息子がコートのまま病室に入ってきて僕に近づこうとしたら、「そんなことしちゃダメ!」と怒って、言い争いになって。「病室で喧嘩しないで」と、僕が仲裁したり。(笑)

 血液内科の病棟だから、皆さんに迷惑をかけるようなことは絶対にできない。だから菌やウイルスを持ち込まないよう、気にしすぎるくらい気にしていました。

 4月末に退院してからも、僕だけ別の部屋で生活。食事は子どもが部屋の前まで運んできてドアをノックしてくれるので、自室で一人で食べる。トイレとお風呂、散歩のほか、ほとんど部屋を出ていない。家族の誕生日会も、6月2日の結婚記念日も、1階と2階をスマホの動画でつないで一緒に歌ったりしたね。

 それに慣れてきたし、けっこう楽しめるようになったわよね。

 ただ最近では、子どもたちがマスクをして僕の部屋で少し時間を過ごすことも増えてきて、とてもうれしい。がんになって子どもたちとこんなにも話す時間を持てるとは思わなかった。

 よかったですね。