お互い入社4年目の1990年に結婚。出会いはアナウンサーになるための講習会だった

引き算の縁と足し算の縁がある

 あなたの病気をきっかけに、子どもたちもずいぶん変わりました。

 そうそう。最近は三男が散歩にもつきあってくれるし。担当の医師からは、4ヵ月ベッドで寝ていたので体の機能も落ちているからなるべく歩いたほうがいいと言われていたけど、退院直後は家族みんな散歩に反対だった。

 新型コロナウイルスの流行による緊急事態宣言の真っ最中だったから、とても心配だった。

 でも退院して2週間後くらいかな。脚がむくんで、象の脚みたいになってしまい――お医者様から、外を歩いて体液を循環させなくてはダメだと言われた。それからは雨でも毎日、2キロから4キロくらい歩いている。この間は三男だけではなく次男も一緒に散歩してくれた。何より驚いたのは、息子たちが料理を始めたこと。ますみが仕事でいない時に作ってくれるんだけど、本当においしいし、ダメおやじだった僕にここまでしてくれるのかと感動する。病気になって、悪いことだけではないなとつくづく思った。

 ごく普通の今どきの子たちですが、みんなが、自分に何かできることはないかと考えるようになった。それぞれの人生を歩き始める年齢だけど、起点は家族にあるということを思い返したんでしょうね。家族がワンチームになれたことは、すごく大きなことだったと思います。

 僕は東日本大震災の取材を通して、「引き算の縁と足し算の縁」という考え方をするようになった。震災の時、当初は皆さん、「あの人が亡くなった」「この人が行方不明」と、失った縁、つまり引き算の縁について話していた。でもしばらくすると、「近所の人に再会できた」「ボランティアの人に支えられた」と足し算の縁を語る方が増えてきて、積極的に切り替えていった方たちが復興の中心になっていった。

僕もがんを告知されてしばらくは、あの仕事もこの仕事もダメになったと落ち込んでいたけれど、失ったものを数えるのではなく、病気になったことで何が得られたのか。それをひとつずつ数えて貯金をしていこうと、途中から気持ちが切り替わった。ブログやインスタグラムをフォローしてくださった方との縁もできたし、子どもたちもよくしてくれる。妻もやさしくなったし。

 ……えっ?(笑)

 確かに病気になる前、僕はちょっと頑固になっていたからね。家族の言うこともあまり聞かずに、ひたすら走っていたし。

 この先いい仕事をしていくには、もっと心を柔らかくしたほうがいいのに、と思っていて。このまま人の意見を聞かずに突っ走ると自分も疲れるし、まわりからも頑固だと思われるのではないかと心配していたのです。

 難しいと思うのは、今言ったような思いから『とくダネ!』で「がんになってよかったと思う瞬間がある」というようなことを口にしたら、「安易すぎる」「軽く考えないでほしい」と、炎上。がん患者として自分の気持ちを語っても、インパクトがある言葉には拒否反応が起きると知った。

 番組全体を観た方は、きっとわかってくださってると思うけれど……。ちなみに私は、あなたが病気になってよかったとは思わない。けれど、家族全員がそれぞれ人間的に成長するためには必要なことだったのかなと思います。

 今の率直な気持ちは、「病気のおかげで人生を仕切り直せた」。本当の意味で第二の人生の幕開けだな、と感じています。

右/2004年、家族で長野県・軽井沢に出かけた時の1枚
左/19年の家族写真。後列左から三男、長男、次男。前列左からますみさん、信輔さん(写真提供)