待ちに待った退院、仕事復帰
夫 6月4日に主治医の先生から「データから見て、あなたの体にがん細胞はありません。これを医学用語では完全寛解と言います」と告げられ、「やったぁ!」と。本当にうれしかったなぁ。
妻 私はもともと「大丈夫、絶対に治る」と信じてはいたから、ようやくここまで辿り着いたというのが素直な気持ちでした。本当に多くの方が応援してくださったので、そのおかげでここまで来たと、まずそのことが頭に浮かびました。
夫 5月に入って治療の経過がよかったので、5月21日の診察で寛解と言ってもらえると期待していたんだ。ところが「90点以上あげられるけれど、まだ100点ではない」と言われて、がっくり。ブログやインスタグラムにも、「今日、『寛解』か『治療続行』かの診断がくだります」と予告してしまっていたし――。
妻 先生と私に、「事前にそういうことを書くものではありません」と、怒られたのよね。(笑)
夫 あの日ますみは、「ドラマチックになったと思えばいいんじゃない?」と言ったね。いやぁ、前向きな人だなと思ったよ。
妻 自然と口を突いて出ました。
夫 考えてみたら、最初から前向きだったよね。去年の12月に、悪性リンパ腫の一つ「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」と診断され、「ごめんね……。病気になっちゃった。血液のがんなんだ」と言った時も、ますみは「大丈夫よ!」。僕は泣きそうというか、意気消沈していたんだけど……。
妻 病気はもちろん心配だったけれど、それより、あなたの佇まいがあまりにも悲しかった。テレビの画面でも家でも、いつも「ちょっとおっちょこちょいで元気な笠井さん」だったから。うなだれて「ごめんね」という姿が、本当にせつなかった。
夫 僕の場合、悪性リンパ腫のなかでも全身にがんが散らばっていて、さらに難しいタイプということで、やっぱりショックが大きかった。後から思えば、9月末にフジテレビを退社するちょっと前から腰痛に悩まされていたから。
妻 会社に置いてあった荷物を家に運んだので、引っ越しのせいで腰を痛めたと思ったのよね。
夫 そう。ぎっくり腰かなと思って、整体に通ったり湿布を貼ったり。それとは別にちょっと排尿障害もあったので検査をしたところ、前立腺肥大という診断を受け、治療を始めていた。どちらも悪性リンパ腫のせいだとは、その時にはわからなかったから。そのうち左肩が痛くなり、腰の痛みもひどくなり……何回受けたかわからないくらい検査を受けたけど、なかなかはっきりしない。結局、12月に入ってやっと悪性リンパ腫だと判明したんだ。
妻 告知の日は26歳になる長男と私が一緒に行って。高校生の三男が海外にいたので、帰国するタイミングで次男と三男に話すことにしたのよね。
夫 入院が12月19日に決まったので、15日に一足早いクリスマス会をやって、その時、実は4日後に入院すると告げて……。あの日は栗きんとんや黒豆も出てきたので、「何これ?」と聞いたら、「あなたはお正月も入院しているんだから、おせちも一緒に食べてね」と言ってくれて……。
妻 そうね。子どもたちにはお父さんがいないところで、「しっかりしよう。みんな楽しく笑って過ごそうね」と言いました。