『婦人公論』10月13日号の表紙に登場している草笛光子さん(表紙撮影:篠山紀信)

ユーモアの神様が死神を遠ざけてくれた

昨年から今年にかけて、浅草芸能大賞、毎日芸術賞をいただきました。それに、ゆうもあ大賞も。きっと、私が何かお話しすると、なぜか皆さんが笑いだすからでしょうね。

小さい頃は全然しゃべらない子だったのに、どうしてこうも変われたのか、自分でも不思議です。「笑い」を誘うことをつとめて考えたりやったりしてはいないのに、いつしか人格の一部になったのでしょうか。今日も篠山紀信さんに写真を撮っていただく時、つい、おどけてしまった(笑)。たぶんユーモアの神様が、私の守護神なのでしょう。

そんな今の私からは皆さん想像もつかないかもしれませんが、一時期、ユーモアとは正反対の神様が近づいてきたことがありました。30代後半、ある舞台の出演中、朝を迎えるのがイヤになってしまったのです。

この世にいることがどうしてもイヤになり、明け方、外をふらふらと歩きまわり、「お父さん、お母さん、ごめんなさい」とつぶやきながら車道を走る車の前に飛び出そうとしたら、やってきたのは小さなオート三輪。当時の私は身体を鍛え抜いていたから、その瞬間、「これじゃあ死ねない、車のほうが転がっちゃうわ」と思いました。たぶんユーモアの神様が、死神を私から遠ざけてくれたのでしょうね。

近くの電話ボックスから母に電話して、「お母さん、死のうと思ったけれど死ねなかった」と伝えたところ、なんと母はアハハハと笑ったのです。「えっ、なんで笑うの?」と、怒りが湧きました。

それでもまだ死への誘惑が断ち切れず、家に帰って台所で包丁を捜していたら、玄関の外にある牛乳箱に牛乳瓶が届けられる「コトン」という音がしたのです。その音を聞いたとたん、極度の緊張状態でひどく喉が渇いていることに気づき──配達された牛乳を飲んだら眠くなってしまいました。

目が覚めたら、横浜から飛んできた母が真っ青な顔をして枕元に。さっきは笑い飛ばした母が、「何があったの」と真剣な顔をしていました。母の深い愛を感じた瞬間でしたね。

それ以降、どんなにつらいことがあっても、二度と死にたいと思ったことはありません。一生懸命に生きる気持ちとユーモア感覚があれば、何があっても乗り切れる。心底、そう思えるようになったのです。