「お金の悩みは、単になくて困るというだけでなく、プライドや希望をズタズタにして、生きていく気力さえ奪ってしまう。」(撮影:本社写真部)
1980年代、テレビドラマ『教師びんびん物語』で大ブレイクした俳優の野村宏伸さん。最盛期の年収は2億円を超えるなど順風満帆の人生でしたが、お金のトラブルから30代でどん底に突き落とされ……(構成=丸山あかね 撮影=本社写真部)

工場が倒産し一家離散

コロナ禍で失業したり収入が減ったりして、経済的な不安を抱えている人が少なくないと聞きます。お金の悩みは、単になくて困るというだけでなく、プライドや希望をズタズタにして、生きていく気力さえ奪ってしまう。お金に翻弄されてきた経験上、僕にはよくわかります。

僕も今、厳しい状況におかれていますよ。予定していた舞台が飛んでしまえば、たちまち収入は断たれてしまう。とはいえ、もとより役者という仕事は水物だと肝に銘じているからか、まったく動じてはいません。それとも、試練を通じて心が強くなったのか……。

僕の場合、生まれ育ったのは幸運にも裕福な家でした。わが家は祖父の代から都内で化学薬品工場を経営していて、父は二代目社長。当時、暮らしていたのは200坪くらいの土地に立つ豪邸で、庭の池には鯉が泳いでいました。家族旅行で初めてハワイに行ったのは、まだ1ドル300円以上の時代だった、小学校の低学年の頃でした。

でも当時は幼すぎて、普通の金銭感覚というものを知らず、「それが当たり前」。何のありがたみも感じていなかった。そればかりか僕はお金にルーズな父の背中を見て育ちました。父は人から頼まれると二つ返事でお金を貸してしまったり、簡単に何千万円もの保証人になってしまったり。

母は「お父さんはお人よしだから」と言っていましたが、今思えば、見栄っ張りだったのでしょう。もっともこれは今だから言えることで、30代までの僕は、そういう気風(きっぷ)がよく男気のある人をカッコイイと思っていた節もありました。

高校1年のある日、いつものように学校から帰宅すると、両親から「すぐに家を出て逃げなければ」と告げられました。工場が数十億円の負債を抱えて倒産したから、と。僕と妹はわけがわからないまま別々の親戚に預けられ、一家離散となったのです。

とはいえ、僕たち子どもに悲愴感はそんなになかった。僕はいつも通り高校に通って友達に会っていたし、親戚の家に帰れば仲のいい従兄がいる。ただ、校門で強面(こわもて)の債権者が僕を待ち伏せしていたのは嫌でたまらなかった。車の中に連れ込まれ、「親はどこにいるんだ」と詰問されても、「知りません」としか答えようがない。

タクシー運転手の職に就いたと父から連絡があり、再び家族4人で暮らすことができるようになったのは、工場が倒産して10ヵ月くらい経った頃です。でも住まいは小さなマンションの一室で、食べていくのが精いっぱい。そのうえ父はギャンブルに走り、ほとんど家に帰ってこない状態で……。後に両親は離婚しました。