昭和40年代、母と妹と一緒に。左が野村さん(写真提供:野村さん)

賞金が欲しくてオーディションに

高校時代は僕の人生における第一次氷河期でしたが、妹が勝手に応募した角川映画『メイン・テーマ』の薬師丸ひろ子さんの相手役オーディションに合格したことで、運命が大きく変わっていきます。高校卒業を控えた当時の僕は、父の失敗を目の当たりにしていたので、収入の安定したサラリーマンになりたいと考えていました。それなのに映画のオーディション会場へと出かけたのは、やっぱり賞金が欲しかったから。優勝者は500万円、推薦者は100万円と高額だったのです。

2万3000人もの応募者の中から自分が選ばれたことは確かにうれしかったけれど、驚きのほうが大きかったですね。もらった賞金は家族のために使いました、と言いたいところなのですが……200万円くらいの新車を買ってしまいました(笑)。あとは「生活の足しにして」と母に渡したり、貯蓄をしたり……。

このときはまだ役者として生きていこうとは思っておらず、「とりあえず、この1本に出て終わり」と考えていました。もともと自分で憧れて入った業界でもないし、続くとは思っていなかった。しかし、デビューの翌々年、僕は『キャバレー』という作品で主役に抜擢されます。僕は角川春樹事務所に所属して固定給をもらうように。デビューした頃の月給は同世代のサラリーマンと同じくらいで、15万円ほど。それが『キャバレー』以降は30万円になり、大出世した気分でした。(笑)

そして、撮影現場で先輩方と話すうちにお芝居の楽しさ、やりがいを知るようになり、俳優という職業にのめり込んでいきました。

母のために買った2億円の豪邸

その後、もう一作角川映画に出演したところで角川春樹事務所から芸能部門がなくなり、知人の紹介で事務所を移籍。すぐに決まったのが、田原俊彦さんと共演したドラマ『教師びんびん物語』の榎本英樹役だったのです。ドラマの大ヒットに伴って僕も顔が知られるようになっていき、CM出演など仕事のオファーがバンバン舞い込んできました。しかも新しい事務所での給料は歩合制だったので、20代後半で最高月収約6000万円ということもありました。まさにバブル期です。

月末に桁外れの金額が口座に振り込まれることに最初は歓喜していましたが、徐々に金銭感覚が麻痺していきました。そのうち、通帳を経理の方に預けっぱなしで、自分でいくら稼いでいるか、使っているかわからないという状態に……。そして、「自分に買えないものはない」などと大いなる勘違いをするようになっていったんです。実際、ベンツやポルシェを所有して有頂天になっていました。

一番高額だった買い物は、母を喜ばせたい一心で28歳のときに購入した世田谷区内の家です。敷地面積は110坪、50畳のリビングがある3LDKの家の価格は2億4000万円ほどでした。頭金を1億円入れて20年ローンを組んだのですが、利息が高くて、月の返済額は80万円くらいだったと思います。余裕で支払える予定だったんです。