イラスト:小林マキ
人生に「もしも」はないけれど、妄想せずにはいられない。この足枷さえなければ、新しい生き方、私だけの場所へ飛び出せるのに。81歳の夫と暮らす田代さんの夢は(「読者体験手記」より)

病を生き延びた夫は、健康を気づかうように

私がまだ40代の頃だったと思う。近所の大金持ちのご主人が病気で亡くなり、その四十九日も済まぬうちに奥さんが家で首を吊って後を追ったのだ。それを人から聞いた私は、なんてもったいないと思った。ご主人は大金を残し、あの世に旅立ったというのに。これからいくらでも自由に生きられるだろうに。

そこへいくと、私と夫は老夫婦になっても狭いアパートで年金を頼りにその日暮らしである。もしあの年、夫が病との闘いに負けて逝っていたなら、今頃私はどうしていただろうと考える。長年、ともに暮らしていたのだからそりゃあ悲しいけど、同時にホッとしていたに違いない。

夫はよほど悪運が強いのか、何回も死線をさまよったが、何ごともなかったかのように平然と生き延びている。さすがに足腰は弱ったが、真夏の暑いさなかも朝晩と散歩に出かけていた。そして近くの公園で鉄棒体操をする。戻ってくると「オイ、西瓜出してくれ」とか「あの高いヨーグルトを二つ持ってこい」とか私に命令する。

扇風機だけが回る部屋はムンムンとしているので、私は化粧もせず、まだら汗の顔で「ハイよ」と夫の注文に応じる。食べ終わった夫は一番風通しのよい場所に移ってしばし居眠り。汗でかゆくなった顎のあたりをボリボリきながら私は夕飯の支度をする。

夫はブロッコリーやトマトが胃がんに効果があると何かの雑誌で知って、毎食それを取り入れるようになった。もう81歳なのだから、そうまでして食事に気をつかわなくてもいいのに。