イラスト:小林マキ
この足枷さえなければ、新しい生き方、私だけの場所へ飛び出せるのに。目を閉じればどこまでも自由が広がる(「読者体験手記」より)

家族でも誰一人出入りさせない海辺の家

その家のことを聞いたのは、子どもが中学の頃のPTAの席でした。ある人がプンプンしながら、「うちの姑がとんでもないのよ」と話し始めたのです。彼女の嫁ぎ先は、家族経営の小さな会社。ご主人である長男に会社を譲って、義理の両親はそろそろ引退という話になったとき、お姑さんが「実は隣町の海沿いに、小さな家を建てた。今後、週末はそこで暮らして、いずれはそちらに移り住もうと思う」と言い出したというのです。

もちろん家族全員、寝耳に水。「オレはどうなるんだ」とお舅さんが大騒ぎしても、「嫁も同居しているのだし、暮らしに困ることはないでしょう」と涼しい顔。資金は会社からの給与をコツコツ貯めたものだから、誰にも文句は言えません。営業車で出かけていたときによい土地を見つけ、雑誌で作品を見て気に入った若い建築家と密かに打ち合わせを重ねて建築にこぎつけたのだとか。

「長いこと、会社と家のために働いてきました。今後は自分だけの時間と場所を持たせてちょうだい」という強い意志の前に、表立って反対できる人もなく、お姑さんは嬉々として、海辺の家に通い始めたのだとか。

「ひどいのはね」、と続けて彼女。お姑さんはその家に、家族を誰一人として出入りさせないというのです。「海が近いんだし、子どもたちだって遊びに行きたいじゃない。なのに、合鍵も渡してくれないのよ」と憤懣やるかたない彼女に、私を含めて周囲も、「孫くらい、いいじゃないねぇ」「いけずだわぁ」と口々に賛同しました。