湿地の恐怖、深い闇を作る森、残酷な公開処刑…
ハーメルン市民にとっては、ご先祖様が約束を反故にして復讐される話がそう楽しいはずがない。にもかかわらず7世紀以上も延々と語りついできたばかりか、今現在も演じ続けている(子どもたちは行方不明者役、及び着ぐるみのネズミ役)。それはこの不思議で無気味で哀切な伝承の裏に、何かもっと、語られている以上のものが隠れていると誰もが感じ、いつまでも記憶にとどめるべきだと信じているからに他ならない。
先述したように、同時代人は消えた子どものことを公的文書に残した。それから20〜30年ほど後の14世紀初頭、文字の読めない大多数の住民のために町の教会(マルクト教会)のステンドグラスに、ガラス絵が描かれた。もはや現存していないが、幸いにして16世紀後半に模写された彩色画が残っており、これが最古の「ハーメルンの笛吹き男」図となる。
詳しく見てゆこう。異時同図法(一つの構図の中に異なる時間を描き込む手法)が使われている。
まず左に大きく描かれているのが、ラッパ風の縦笛を吹く男。帽子も上着もズボンも赤・黄・緑・白の縦縞模様だ。履き物は中世に流行した極端な先尖り靴。もとより放浪の楽師なので派手で目立つ格好をしていた(それにしても皆が驚いたというのだから、どこか通常とは違っていたに違いない)。
右下にはヴェーザー川が流れ、岸沿いにハーメルンの町。教会の塔が目立つ。ヨーロッパの都市は当時どこも城塞都市だったから、周囲をぐるりと城壁に囲まれ、いくつも門がある。川に近い門からネズミの大群が出てゆき、その先の小舟で笛吹き男が笛を吹く。
画面中央に森をあらわす木々が描かれ、近くには沼。鹿が3頭いて、1頭が沼にはまって沈みかけている。このあたりが命にかかわる危険な湿地帯だということが示される。
脇の坂道を、笛吹き男に先導された子どもたちが上ってゆく。彼らの出た門が、いわゆる不浄門であることは、道の先の山裾に絞首台が見えているのでわかる。当時の処刑方法は貴族なら城壁内の広場で公開斬首、平民は城外で絞首刑がふつうだった。ここには首吊り台だけではなく、処刑された罪人も2人描かれている。こうして見せしめに放置されるのも一般的だった。
またその横の、巨大な独楽のようなものは何だろう。実はこれも処刑台だった。拷問も兼ねた車輪刑。ブリューゲル作品に時々出てくるので知る人も多かろう。
当たり前のように描かれたこれら中世の日常―外敵や獣から住民を守る城壁、跋扈するネズミの大群、異界からやってきた見知らぬ人間、湿地の恐怖、深い闇を作る森、残酷な公開処刑―は、当時の人々がいかに死と隣り合わせで暮らしていたかを物語る。そんな彼らにとってさえ、子どもたちの突然の失踪は激しいショックだったのだ。なぜか?