ネズミはペストと密接に結びついている…
童話風の趣を持つようになったのは、さまざまな時代的要素が加わった後だ。本来は皆が驚く立派な身なりだったのに、「笛を吹く」という要素が強調されて放浪の辻音楽師的イメージになり、そんな身分の低い貧しい者の服が高価であるはずもないとして、色が派手で人目を惹いた、と変化してゆく(英語のPied Piper も「まだら服の笛吹き男」)。
また笛特有の魔的な音色は、誘惑の象徴につながる。先述した市門建設の際に「魔法使い」という言葉が使われたのは、まさに魔女狩り最盛期であった。この時期、笛吹き男は魔女の仲間と見なされたのだ。
またネズミはペストと密接に結びついている。もともとはネズミの病気で、その血を吸ったノミがさらに人間を刺すことで感染した。もちろん当時の人にそうした科学的知識はないが、ネズミの大発生とペスト流行が同時だったため両者の関係に疑いが持たれた(ネズミの激増は、田畑を増やそうと城外の森林を伐採、開墾して、ネズミの天敵イタチや猛禽類や蛇が減ったことによる)。実際にネズミ捕りを生業にする者も存在していた。
こうしたことが、事件の骨格を飾り立てることになったのだ。
世界中の研究者がこの謎を解き明かそうと…
皆がよく知る「ハーメルンの笛吹き男」の物語から童話風の装飾を剝ぎ取れば、それはごく単純な――しかしもちろん衝撃的な――事実の羅列となる。即ち、1284年のヨハネとパウロの日、ハーメルン市に身なりの立派な男が現れ、笛を吹いて130人の子どもを集めて連れ去り、消息を絶つ。その後、杳として行方が知れない。
男は誰だったのか、なぜ子どもらは男について行ったのか、どこへ連れてゆかれたのか、生きているのか死んだのか……。
何世紀にもわたり、世界中の研究者(日本では故・阿部謹也が有名)がこの謎を解き明かすべく、さまざまな論考を発表している。それをテーマ別に分類するだけで30種近くになるというのだから、この話の内包する魅力の強烈さがわかろうというもの。
17世紀にはヴェーザー川での溺死説が出たが、これはネズミを川におびき出したという後世の創作に影響されたのかもしれない。20世紀末になると、小児性愛者による猟奇殺人説が発表された。いかにも現代的な推理だ(途方もなさすぎる)。
この新旧2つの説の間に、捏造説、死神説、山崩れでの生き埋め説、底なし沼での事故死説、野獣襲撃説、誘拐説などが並ぶ。