子どもたちの身になって考えると

有力とされる説をいくつかあげておこう。

I)何らかの伝染病に罹患した子どもたちを、町の外へ連れ出して捨てた。

――要するに、自分たちを守るためやむを得ず病人を犠牲にしたわけだ。可哀そうなことをしたとの慚愧の念が、子どもらを忘れまいとする市全体の総意となったということは十分ありうる。しかし少年少女だけが罹る伝染病というのは考えにくいし、この説には肝心の笛吹き男の存在感がどこにもない。

 

II)処刑場近くの山は、キリスト教が入ってくるまでは古代ゲルマンの祭祀場で、夏至祭(当時はヨハネとパウロの日と名を変えられていたが)には火を燃やす。笛吹き男に誘われた子どもたちが見に行き、崖から転落死した。

――祭りを盛り上げるため雇われた放浪の音楽師が、子どもらを煽って真っ暗闇の夜の山道を歩かせ、遭難させる。全くないとは言えないが、怪我だけですんだ子もいたはずだし、住民が死体を発見できなかったのもおかしい。第一、古い文献はどれもこの事件が日中に起こったと明記してある。

 

III)舞踏病に集団感染し、踊りながら町を出て行った。

――これは遺伝性のハンチントン病(旧ハンチントン舞踏病)とは異なり、中世によく見られた一種の集団ヒステリー。祭りの熱狂の中、自然発生的に起こり、狂乱状態で踊り続けて、時に死に至る(たいていはしばらくすると憑きものが落ちたように呆然とするらしい)。単調で抑圧的、なお且つ死の危険が身近にあった中世人が陥る爆発的躁状態だ。ただしハーメルンだけで一度に130人、それも子どもだけというのは説得力が弱い。

 

IV)「子供十字軍」としてエルサレムへ向かった。笛吹き男は徴兵係。

――現実に「子供十字軍」の悲劇は各地で起きていた。非力な少年少女が従軍しても、港に着く前に行き倒れたり、船に乗れても難破したり、果ては奴隷として売られることも少なくなかった。ハーメルンの子が巻き込まれたとして何の不思議もないが、しかし逆にどうしてハーメルン市だけが十字軍のことを隠したかが新たな謎になる。

 

Ⅴ)ハーメルンでの未来に希望が見いだせず、東欧に植民するため移住した。笛吹き男は新天地がどんなに素晴らしいかを、笛ではなく言葉で吹聴(ふいちょう)し、また金をかけた衣服によって豊かさを誇示し、子どもたちをその気にさせた。

――今のところ、この説がもっとも有力視されている。同時代に創建された東欧の村々に、ハーメルンという名がいくつか見られるのもその証拠という。ただこれまた完璧に問題なしとは言えない。なぜ130人のうち誰ひとり、故郷と連絡を取ろうとする者がいなかったか(子孫でもかまわないはずなのに)という点だ。

 

つまり、まだ万人を納得させるに足る定説はないのだ。研究は続けられており、「ハーメルンの笛吹き男」を読む楽しみは尽きない。

それにしても、この伝承における子どもたちの身になって考えると恐怖が押し寄せてくる。妖しい魔笛の音に操られ、夢遊病者のように歩きに歩いて、気がつけば見も知らぬ異邦の地に佇む自分がいたとしたら……。

 

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