AKB48のメンバーとして活躍していた頃の2010 年の制服写真 (c)AKB48

 

AKBは、25歳で卒業しようと決めていた

――17歳でAKB48のメンバーに。女の子の仲良しグループに入れずつらい思いをした秋元さんが、なぜ女子高生の集団のようなAKB48に入ろうと思ったのですか?

秋元 これも不思議なご縁だと思います。集団行動って、今でも苦手なんですよ。だから、AKB48も最初の頃は不安でした(笑)。お揃いの制服も、私のビジュアルでは少し浮いていましたし。

私の原点は、小学校の頃に「カッコイイ!」って初めてハマったスパイス・ガールズ。その後、モーニング娘。さんやJポップも好きになり、その一方で、歌が好きな両親に「本物をちゃんと見ろ」と、テレビで美空ひばりさんやテレサ・テンさんの特集があると必ず見せられていて。

そんなにお金もなかったはずなのに、東京ドームで行われたマイケル・ジャクソンのコンサートにも連れて行ってくれたんです。その時に、「すごい!私もあんなふうにステージに立ちたい」って思ったんです。

 

――マイケル・ジャクソンに憧れて、芸能界に?

秋元 はい。もうひとつ、芸能界を目指したのは、いじめられていたからという理由もありました。どうやら私は個性的だから、みんながとやかく言ってくる。でも、芸能界に入ったら、きっと自分の個性を認めてもらえるに違いない。

好きだった男の子に「秋元ブス」って公園に落書きされて自尊心がズタボロになったけど、芸能界に入れたら自分に自信が持てるはずだ。きれいな恰好をして、お金もたくさんもらえて、豪邸に住んで、自分をいじめてきたやつらを見返してやりたいって。

それで、何度かオーディションを受けたんですけど、合格しても「入所金30万円」とかお金がかかってしまう。そんな時、渋谷を歩いていたらAKB48のメンバー募集のチラシをもらったんですよ。受かってもレッスン費用はかからないうえに、オーディション用の写真も携帯の写メでOK。

しかも、主宰の秋元康さんは美空ひばりさんの「川の流れのように」を作詞した方。両親の影響で私もひばりさんのファンだったので、ここならいいかも、とAKB48を受けました。

 

――実際にメンバーになってからは、どんな心境だったのですか?

秋元 今は変わってきているかもしれませんが、私が入った頃のAKB48は、個人の意見や自分なりのプロデュースというものはあまり必要なかったと思います。その中で、私は自分の意志を持ち始めた。目指すビジョンが見えてきたのが20歳くらいの時。実際に、グループ全体の方向性と自分がやりたいことが年々ズレてきていました。いろいろ考えて、25歳が限界だなって。恋愛禁止というルールもありましたが、25歳で「カレシがいません」って、言い続けるのも苦しくなってきましたし。(笑)

 

――それで、25歳になったら卒業しようと決めていたわけですね。

秋元 はい。23歳くらいの頃からスタッフさんに相談していましたが、なかなか秋元さんにつないでくれなかったので、25歳になった時、「卒業したい」と、秋元康事務所に直談判しに行きました。アイドルには確かに旬があるかもしれないけれど、女性の賞味期限って、いったい誰が決めるんだろう?という疑問もありました。

私は、いつまでも若くてカワイイ女の子を良しとするのではなく、年齢とともに知識や教養を身につけて「30代は楽しいよ、40代はもっと素敵だよ」って言える女性になりたかったんです。そのために、25歳からの人生は自分で決めて、自分が理想とするカッコイイ女性になっていこうって。