小学校時代の秋元さん。左は弟さん(写真提供=秋元さん)

ガスや電気が止められたことも

――先ほどもおっしゃいましたが、「お母さんはフィリピン人」ということを早くから公言しておられました。秋元さんがデビューした頃、東南アジア系のルーツを持つことを明らかにしている方は芸能界にほとんどいませんでしたね。

秋元 実は、AKB48のオーディションを受けに行くと言った時も、母に反対されました。「娘が心ないことを言われるかも」って心配したようで。AKBに入った当初も、「伏せておいたほうがいい」と言われました。でも、私はすぐにカミングアウトしたのです。自分は何も悪いことをしていないのに、なぜ隠さなきゃいけないんだろう? って。

「恥ずかしいから」と母は言うけれど、私は2つのルーツがあることを誇りに思っているし、恥ずかしいことなんか何もない。むしろ、「フィリピン人とのダブルであることに自信を持っている」私の姿を母にも見てほしかったんですね。

 

――その潔さに感銘を受けて、秋元さんのような強い女性を主人公にしたミステリーを書いたのですが、子どもの頃は、ダブルだということでいじめられたのでは?

秋元 かなり、いじめられました。小学校の校庭を歩いていると校舎の3階から大きな石を投げられたり、「秋元、死ね」と公園に落書きされたり。フィリピンでは習慣なのですが、赤ん坊の頃からピアスをし、髪を染めて派手な服も着ていましたからね。おまけに背も高かったので、ただでさえ目立ってしまう。

千葉県松戸市の外れの小さな町で育ったこともあり、そんな私の存在が周囲には異質だったのでしょう。女の子の仲良しグループには入れず、学校では一人が多かったですね。休み時間は図書室で本を読んだり、詩を書いて過ごしたり。「みんな私のことが嫌いなんだ」と、誰もいない階段の踊り場で泣いたこともありました。

でも、決してメソメソしてばかりいたわけじゃありません。石を投げられた時はすぐに校長室に行って、「私は何もしていないのに理不尽だ!」と訴え、石を投げた生徒のもとへ校長先生を連れて行き、その場できちんと謝らせましたよ。

 

――たくましい。その強さはどこから生まれてきたのでしょう?

秋元 両親に愛されて育ったからだと思います。私の両親はなんの根拠もないのに、「うちの娘はすごいでしょう!」って、いつもポジティブなんですよ。親にそう言われたら、子どもだって俄然やる気が出ますよね。

近所の子が「フィリピン人、フィリピン人」と私をからかった時も、「おまえより、うちの娘のほうが勉強もできるし、秀でているものがたくさんあるんだよ!」って、父が怒鳴り返して。「頑張って勉強して、いじめるやつらを見返してやれ!」っていつも言われていました。

その言葉通りに、子どもの頃から、勉強も頑張ったし、運動会の徒競走でも1等賞。児童会の活動もやりました。きちんといい結果を出したら、誰も私に文句を言えなくなると思っていたので。