「私にとっての孫、子ども、夫……。自分を優先してものごとを見れば、『おばあちゃんだからこうしなければ』『孫に対してこうあらねば』などと義務感を持たないですみます。」

孫たちの拠り所はそれぞれの家であれ

祖父母というのは、孫にとってはあくまでも補助的な存在だと私は思っています。でも、その親である子どもたちにとっては、困ったときに真っ先に応援を求めたくなる存在でもある。自分が子育てをしていた頃も、母や義母に何度助けてもらったことか。とはいえ、当時はとくに感謝の念も覚えなかったのですが。(笑)

因果は巡るもので、この春のコロナ禍で、一時的に東京の孫たちを預かることになりました。春休みを利用して孫4人とその母親が来ていたのですが、東京で「緊急事態宣言」が発出されて、帰るに帰れなくなってしまったのです。

長男は医療従事者ですので、職場からウイルスを持ち帰って家族に感染させてしまうリスクが高い。すぐ帰すわけにはいかない、という事情もありました。それでわが家にしばらく滞在させることを決めたのですが、これが思いのほか長引いてしまいました。

学校へも行けず、とはいえ外でおおっぴらにも遊べず、1週間が過ぎ2週間が過ぎていく。そのなかで、毎日読書の時間を設けたり、週に2日2時間ずつ、友人を拝み倒して格安で家庭教師に来てもらったり。手探りで少しずつ生活を整えていきました。

山に蕨採りに行ったり、いとこ同士で遊んだり、孫たちはそれなりに楽しい時間もあったでしょう。でも、先がまったく見えないなか、子どもも大人も不安を抱えながら過ごした数週間であったなあと思います。いろいろと大変なことはありましたが、孫たちにとってのわが家の意味を考える機会にもなりました。

毎年何週間も東京の孫たちはわが家で過ごしていますし、岡山の子たちはよく来ます。けれど、孫たちの拠り所となるべきは、それぞれの家であって、わが家ではありません。彼らが成長したあと、記憶のなかに、「夏休み、ばぁばの家に行って楽しかったね」くらいの淡い残り方をするのがちょうどいい。子育てとはそもそも親のものであって、祖父母は困ったときの「ピンチヒッター」ですからね。

だから、距離が近くなりすぎないように気をつけています。孫たちの誕生日にはプレゼントを贈らないし、お年玉はそのときうちに来た子にだけ配る。七五三などのイベントは、第一子のときだけは呼ばれれば顔を出したけれども、以降は、「写真だけ送ってくれればいいから」と断っています。

考え方はさまざまだと思いますが、私はそこで祖父母が出ていく必要はないと思うんです。積極的に参加しなくても、後日話を聞いたりして、ゆるく孫の成長に関わるので十分だと。むろん、人にはそれぞれの事情がある。一概に言いきることはできないでしょうが。