それが終戦によって再開することとなる。昭和20年10月、福島の飯坂温泉に疎開していた古関のもとに、放送局演芸部の独活山(うどやま)万司から上京依頼の電報が届いた。戦後初のラジオドラマ「山から来た男」の音楽担当である。古関は、菊田の書いた台本を飯坂に送ってもらい、放送ごとに上京した。
田舎に疎開していた男が、山から帰って会社を再建するという物語であった。その後も菊田とのコンビで「夜光る顔」、「駒鳥夫人」などのドラマ音楽を担当した。こうした作品は、焦土と化した全国の人びとに、楽しみを与えたのである。
古関一家は昭和20年11月に飯坂温泉から東京世田谷代田の自宅へ戻ってきた。翌21年7月10日には長男正裕が誕生した。古関と金子にとって待望の男の子であったから、二人とも大喜びであった。古関家にも平和と希望の光が差し込んだ。
CIEの肝煎りで始まった「鐘の鳴る丘」
昭和22年6月、CIEはNHKに戦災孤児や浮浪児救済のキャンペーンの番組づくりを命じた。CIEは1回15分間の放送を求めた。菊田は20分以上でないと作ることが難しいと反対したが、アメリカではCMも入れて15分間の放送をしていると譲らなかった。
こうして1回15分間の「鐘の鳴る丘」という子供向けのドラマ番組を作ることとなった。昭和22年7月5日に第一回が放送された。当初は毎週土曜と日曜の2回放送で1年間を予定していた。