「浮き世の義理」はもう卒業
仕事を続けたくても年齢制限があるというのはファッション業界も同じですが、私は「ハウス オブ ロータス」のスタッフを見ていて、そのキャリアを無駄にするのは惜しいと考えています。
このお店の主なターゲット層は50代からの女性なので、スタッフには世の中の定年を気にせず、長くいてほしい。そういう職場が増えれば日本は変わるのに、と本気で思いますね。逆に、休みたければ、いつでも休めばいいのです。定年にこだわらず、自分のタイミングで翼を休める。
私にとっては子育て90パーセントで過ごした12年間が、社会人としての休息タイムでした。自分の中にため込んでいた、本当にしたいことや、「美しいものが好き」という人生のテーマを見つけることのできた有意義な時間だったと感じます。
仕事に重きを置く人生の幕開けは50歳のときでしたが、これからが本番だと意気込めるのも、長いあいだ休んでいたのだから、という気持ちがあればこそなのです。
私が今心がけているのは、無理をしないこと、そして自分の気持ちにをつかないこと。思いのままに生きるためには、自分のことがわかっていなければだめですから。つまり、好きなことを見つけるだけでなく、嫌なことも明確にする必要があるのです。
たとえば私は、おつきあいで食事会やパーティーに出席することはあまりありません。本当は行きたくないけど、悪く思われたくないから……などと考えてしまいがちですが、浮世の義理はもう卒業。人にどう思われてもかまわないと割り切っています。
たとえ人間関係に翻弄されることがあるとしても、50歳まではしょうがない。私にとってママ友とのおつきあいは情報交換の大切な場でしたし、気の合う人と集うことが楽しい時期もありました。でももはや、体力が追いつかない。優先順位を明確にした結果、50代からは友達もいらないかな、という結論に達しつつあります。
いらないというのは乱暴な言い方ですが、広くつきあうことには意味がないと悟ったのです。そもそも、友達を心の拠りどころとするのは依存。相談といいながら傷をなめ合うだけでは進歩がない。考えてみれば、困ったときに助けてくれる人なんて、いなくて当たり前です。
かくなるうえは速やかに孤独を受け入れ、人間関係のしがらみを脱ぎ捨ててシンプルに生きる。それでこそ自分らしい人生といえるのではないでしょうか。自立を目指すより先に、依存体質を改善することが先なのかもしれませんね。
自分が主役の人生を生きていれば、苦しい局面も乗り越えられるはず。私はトラブルが起きても自分を向上させるチャンスだと受け止めるし、成功している人を見て僻むことも、焦ることもありません。だから癒やしも必要なし。自分らしく生きていれば、いつも幸せでいられるのです。
お店のメッセージでもあるのですが、人生が80年だとして、時計に置き換えれば40歳は正午。50歳は午後3時のティータイム。華やかなナイトタイムはこれからです。
50代は60歳、70歳の節目をしなやかに迎えるための準備期間。自分を縛るあらゆることと決別して、ゆったりと、そして毎日を慈しみながら、丁寧に過ごそうと決めています。
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中面のインタビューより
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子どもたちの巣立ちを迎え、母の老いを感じながら、一歩踏み出した桐島かれんさんの次の目標はーー