旅が地球の奥深さを見せてくれる

ですが、カブトムシや猫とは同種族としての経験を共有することはできません。一方でコミュニケーションの取れる人類とは黙っていても集う機会が増えます。

実際、友人たちと食事なんかしていると、しゃべることは大抵他愛もない、どうでもいいようなネタだったりしますが、それもまた私にとっては人間の心理を知るうえで興味深い。どんな些細なことも、考察をすると思いがけない発見があるからです。

旅が面白いのは、多様な文化圏の、多様な習慣をもった人間と接していると、彼らの背景にある歴史や地域性を通じて、地球の奥深い側面がどんどん顕(あらわ)になっていくから。

日本では「東大を卒業して一流企業に就職しました」と言えば自動的に付く箔も、たとえばニューギニア島の山奥の部族には何の意味もなしません。

後天的に情報として身に付けたものに意識を囚われないようにするためにも、ものの見方を常にデフォルト状態に保つためにも、旅でその土地の人と関わることは、人類の性質を知るうえでとても大切なことなのです。

旅という手段によって、人間として本来備えもっているはずの機能を鍛えたくなるこの気持ちは、私にとっての本能的な欲求と捉えています。

そして、人間という生き物には知性という要素が備わっています。ただ、この知性というものは扱いがなかなか難しく、多くの人は鍛えることを怠ってしまう。

以前そんな話を友人としていたら「ということは、マリはこの世の人間はみなブッダになればいいと思ってるわけ?」と笑われたことがありますが、たしかに、もしみんながブッダ的悟りを得たら、人間社会は様々な欲求をめぐる争い事が少なくなり、自然環境の破壊も止まるかもしれません。