なぜ私には"アウェイ感"が必要だったのか

自分の知らない土地へ出向いたときに感じる"アウェイ"という感覚が、私の日常にとっては必要不可欠なものでした。

自分と縁もゆかりもない土地へ赴けば、私はよそ者以外の何者でもなく、現地の人たちに「馴染む」しかないという状況になります。

この、馴染むしかない状況と正面から向き合うことで、その地で体験することが自分の血肉になる実感もありますし、何より、地球から「一定の範囲に生息しているだけで、地球のすべてをわかったつもりになって、 自惚(うぬぼ)れるんじゃない」と挑発されているようなあの感覚は、地球と馴染める生物になりたいという潜在意識の願望から芽生えてくるものなのかもしれません。

様々な土地に行き、自分の固定観念を脇に置いて、いろんな人の習慣や考え方を理解するよう心がける。

それを試みているとき「ああ、自分はこの地球でもっと"広く"生きていけるかもしれない」と思えてくるのです。

そもそも、地球の表層に様々な敷居をつくって人類の生息地域を分類化し、メンタル面における民族という概念をつくり出したのは人間であって、地球の意図ではない。

地球という惑星に生まれた生き物として、そんな人間社会の構造がもどかしくなることもあります。

たとえば海外を旅しているときはいつも、自分自身という意識を払拭して行動したいと考えます。何者でもない、地球上を流動体のように彷徨(さまよ)っていろいろな地域の有り様を観察したい。

「ヤマザキさんって人間が本当に好きなんですね」と言われることがありますが、人間は好きだとか嫌いだとかという視点で接するものではないと思っています。

種族としての人類を苦手だと思うことはあっても、特化して人間万歳、人間大好き、などと感じることはまったくありません。

犬や猫がそれぞれのコミュニティに属するように、私も人類のコミュニティに属していることを自覚している。それだけです。私にとって人間は昆虫や植生や地質と同じ、地球の"有り様"なのです。