中学を出たら働いて、と言われたけれど

福岡県出身。年若い父と母の間に生まれた長子で、子どもの頃から貧困と格差は身近な問題だった。その生い立ちは自身が書いた評伝『女たちのテロル』の登場人物の一人、23歳で獄死した大正期の革命家・金子文子とどこか重なる。


金子文子のように無戸籍で育ったわけでも、ひどい虐待を受けたわけでもないけれど、子どものときの彼女の経験は他人事とは思えない部分があります。駆け落ち同然に結婚した若い両親は親になる準備ができていなくて、今思えば、ヤバい育てられ方もした。土建屋の父は、仕事がない日は朝から二日酔いで寝ていて、母との喧嘩が絶えなくて。

そんなときは、近所の母方の祖母の家へ「おばあちゃんの子どもになる!」と走って行った。祖母は裕福な家庭に育ったものの家が没落した斜陽の人で、文学通のインテリ。気位の高い強烈なキャラクターでしたが、読み書きを教えてくれて、私が本好きになったのは祖母の影響です。

ずっと貧乏でした。中学は荒れていて、問題を抱えた子どもたちが大勢いてね。高校も、交通費のかからない近くのヤンキー校に行く予定でしたが、担任の先生が「名門校に行ける成績だから」と何度も家に足を運んでくれて。「中学を出たら働いてほしい」と言った母に、「バイトして自分で定期代を稼ぐから」と頼み込み、バスで通う高校に入ったんです。

作家の高橋源一郎さんが金子文子について、「勉強したかった女の子だと思う」とおっしゃっています。その言葉、すごく腑に落ちたんですよね。近所の子どもたちが学校に行く姿を家の前で泣きながら見ていたとか、野菜が包んであった新聞紙をここには何が書いてあるのだろうと想像をめぐらしたとか。

金子文子にはグッときます。私が進学校に進んだのも、やっぱり、勉強したかったからだと思う。もっと勉強できるところに行って、何かを知りたかった。