イラスト:タムラサチコ

労働者階級出身の英国ロックバンドに憧れて

80年代初頭、進学したのは藩校の流れを汲む福岡有数の名門、県立修猷館(しゅうゆうかん)高校。だが、願った「勉強のできる環境」には疎外感しかなかった。


入学してみたら、親が会社の重役や医者や弁護士の子どもたちばかりで、エリート校が文字通りエリートで占められている現実は衝撃だった。外の世界が見えなければ自分を不幸とも思わないけれど、高校で階層という問題にぶちあたったわけです。

学校が終わると近くのスーパーでバイトしていたんですが、ある日、着替える時間がなくてセーラー服のままレジ打ちしてたら、OBが学校にタレこみ、担任に呼ばれた。定期代を稼ぐためだと説明しても、「今どきの日本にそんな貧乏な家庭があるわけがない。遊ぶ金欲しさにやってるんだろう」と決めつけられました。

その夜、髪の毛を鋏で短く切り、金髪に染めたんです。翌日はあえて遅刻して登校すると、門を通った瞬間に窓際の席の生徒たちが一斉に二度見したのを、今でも覚えています。「お前みたいな子は来ちゃいけないんだ」と、拒絶された気持ちがあったんでしょうね。グレちゃって、嫌いな科目は全然やる気がなくて、「出て行け」と言われると出て行った。修猷館にはそんな生徒はいないから、親が呼び出されたりもしました。

あの時代を生きていけたのは、イギリスのパンクロックがあったから。セックス・ピストルズが大好きでね。元々音楽好きで、いろんな音楽を聴き、自分でもバンドをやったりしていたんですが、英国のロックバンドはみんな労働者階級の出身で、彼らは「俺たち金がない」と堂々とクールに胸を張って歌っていた。「貧乏人は日本にいるべきじゃない」と思うようになった私の憧れでした。

読書も救いでした。修猷館の前身である藩校の出身者が、玄洋社(国家主義的な右翼団体の母体となった政治団体)に多くかかわっていて、図書館に夢野久作から花田清輝まで、広い意味での関係者の著作が並んだ棚があったんです。ある日、そこで読んだアナキストの大杉栄のことを白紙の答案用紙の裏に書いたら、現国の先生が読んだみたいで。

先生はうちにやって来て、「2年3年は僕が担任になって責任を持つから、ちゃんと学校に来なさい。嫌いな科目のときは図書館で本を読んでなさい。たくさん読んで大学に行って、君はものを書くといい」と言ってくれた。気にかけて、何度も来てくれました。あのときむさぼるように図書館で読んだ体験があるから、今書いていると思います。10年以上も前に亡くなられた先生は今の私をご存じないけれど、本を読んでいただきたかった。恩師です。