入国審査でウィンクされて「もう帰らないかも」

「ああいう場所にこそ、すごく美しい瞬間があるんだということを書きながら、自分を励ましていた。あれはもう二度と書けない。」(写真提供:Mikako Brady)

福岡で4、5年OL生活を送ったあと、1996年、31歳で再び英国へ。ロンドンの日系新聞社で働いていたときに9歳年上のアイルランド人と出会い、結婚。以降は南部のブライトンに暮らす。


行き来していたのは、アイルランド人の詩人と恋に落ちたから。最終的にダメになって、それは一生に一度の大失恋で、身も心も疲れ果てて福岡に落ち着いてたんです。でも、30歳になって「私、これからどうするんだろう」と考えたら答えは決まっていた。

英国では入国審査のときにビザをもらうんですが、あのときの所持金は半年滞在できるくらいしかなかったのに、「1年いたい」と言うと、若い男性の入国審査官がウィンクしてパーンと1年の判子をくれたんですよ。そのとき、生まれてはじめて運命の女神が微笑んだ気がして、「もう帰らないかも」と思ったんです。

新聞社のバイトは、記者のアシスタント。晩ご飯のオーダーから、電話番、下訳、インタビューの文字起こしと何でもやりました。そこで勤めていたとき、パブで知り合ったのが連れ合い。彼はブライトンに暮らしていましたが、人員整理にあうまではロンドンの銀行に勤めていたんです。

結婚してからは、別の日系新聞社でアシスタントとしてフルタイムで働きました。そこでは英国のほぼ全紙と、フランスやスペインから送られてくるズダ袋一杯の新聞を読み、記者のために整理分類し、自社が発行している新聞も読んでいた。

そうすると、「ここには、私が普段みんなとしゃべっているような地べたのことは載ってないぞ」と気づいていく。そのときは、自分がものを書くようになるとは思っていませんでしたけれど、あのときの経験が間違いなく滋養になっています。