ありとあらゆる仕事をした
でも、大学進学は考えなかった。
「日本には労働者階級のスピリットを分け合う人がいない。本場に行くしか私の居場所はない」と思い詰めちゃって、とにかく英国に行きたかったんです。両親は、「お金は一銭も出せない。自分で生きていけるなら何をしてもいい」という人たちだから、何にも言いません。だって15歳のときから、借金だらけの親に「月末だからお金貸して」と言われてバイト代を貸していましたもん。そうなると親子のパワー・バランスは崩れます。文句は言わせませんでした。
今は仲良しですけど、当時は父親のことをめちゃ憎んでいましたし、大嫌いでした。いわゆる昭和の父親で、反抗すると炬燵の板がバーンと飛んできたこともある。もう修羅場でした。
ただね、お金をためるために水商売のバイトをしていたんですが、クラブだったので会社の社長とかも来ていて、しょうもないこと言うヤツやアホなことするヤツがいるんです。そういう人を見るうちに、「親父は酒癖が悪くて直情型だけど、人を騙したりはしないな」と、ちょっと見直すようになりました。それに、父はつらくあたりながらも母のことが大好きだった。今は母の介護をしていますよ。
すっごいダメで、すっごい乱暴でPCもわからないけれど、どこか純粋なところのある、愛のある人は好きなんです。父と重ねてるんでしょうね。何だかんだ言ってファザコンですもん。それが、おっさんを書いたりしているのと繋がってるのかもしれません。
日本と英国を行き来するなかで、英国でもいろんな仕事をしました。お金持ちの投資銀行家の家にベビーシッターとして住み込んだり、飯場のような日本人向けのスーパーの食堂でご飯作ったり、犬の散歩をしたり。ありとあらゆる仕事をやっています。
最近、息子に「今までやった仕事で何が一番楽しかった?」と聞かれて、「母ちゃんねえ、多分、50から100の間でいろんな仕事してると思うから、どれと言われても」と、笑いました。