結局その日は頭の中を整理できずに、彼女にがんのことも打ち明けられず、プロポーズもできずに帰宅しました。後日、改めて話すと、結婚に躊躇するどころか、「生まれてくる赤ちゃんが見つけてくれたんじゃない? 絶対治るから二人でがんばろう」と言ってくれて……。ありがたかったですね。
また、妻の家族の応援も心強かったです。妻のおばあちゃんが深刻ながんを克服した経験があり、がんは死ぬ病気じゃないんだ、と言って結婚を祝福してくれました。
一方自分の両親のほうは、がんを含めて大病を患ったことがなかったので、かなり動揺していましたね。「32歳、これから幸せにならないといけない時に。代わってあげたい」と言ってくれました。正直なところ「代わってほしい」と思いましたよ(笑)。まぁでもこればっかりは無理ですよね。
診察日より前にわざわざ連絡をもらったので、ステージの高いがんを疑いました。でも摘出したところ、転移もなくステージIだった。腎臓も一部の切除で済み、幸いなことに2つとも残っています。抗がん剤治療も不要でした。でも、手術のために腹を横に12センチくらい切りましたし、外した肋骨2本はそのままです。
切ってみて、腹って普段こんなに使っているんだとわかりましたね。そして「笑う」ことが一番腹に響いて痛い。見舞いにきた親父が頭に眼鏡をのせたまま「眼鏡忘れてきちゃってさあ」とか言う。ムカつきましたね(笑)。自分でボタンを押して注入できる「硬膜外麻酔」の管を腰に入れてたんですけど、親父のおかげで注入ボタン押しすぎました。
迷いの末、がんを公表
でも芸人の僕にとって、《病気》は笑いから遠い気がして、がんのことは伏せて仕事を続けました。いただいた休みも正月休みと合わせて3、4週間だけ。家族や事務所など、周りもまったく世間には言わないでおく方向で動いてました。それなのにその病み上がりのロケが「京都で和田アキ子さんを乗せた人力車を引く」ってもので。さすがにそれだけは腰痛を理由に断りましたね。(笑)
それから1年以上の月日が経って、芸人なのに、手術跡があって裸になれないとか、いろいろ不都合があったんです。でもそれよりも、自分がなんの前触れもなく若くしてがんになって、保険にも入ってなくて困ったっていうのを発信したほうがいいんじゃないか、という思いが強くなってきた。検査とか保険の大切さをみんなに言いたくて、公表を決断しました。