「数」の論理とジャーナリズム

僕が長く身を置いてきたジャーナリズムの世界でも顕著になってきたが、今、もてはやされるのはスタンスが明快で、数字が取れる記事だ。いくらページビュー競争はダメだと言っても、人間は数字や言葉が表示されるものに弱い。あらゆるものを指標化し、数を追求しようとする。そして、もてはやされることにも弱い。

『ゲンロン戦記――「知の観客」をつくる』東浩紀・著/中公新書ラクレ

僕も含めて、たとえ記者であってもTwitterやFacebookで数字が取れて、しかも、そこに心地良い賞賛コメントがつけば、ますますそのスタンスを強めるし、同じ考えをもつ誰かに批判されないように原稿のトーンや言葉を選ぶようになる。その結果進んでいくのは、数の論理に強い影響を受けたニュースだ。目の前の原稿よりも、反応ばかりに「緊張」が向かってしまい、やがて目的の一番は「敵」を叩き、「味方」から嫌われないことへと変容していく。

僕がこれではいけない、と思った時に手に取っていたのは東さんの文章だった。思い返せば、東さんはこうした要素がない。自分の哲学を追求し、自由に表現し、新しいものを読者に届けたいという思いが目的の一番にあり、絶対にブレない。自分が好きな本や雑誌というモノを作りたいという思いも絶対にブレない。クリエイションとビジネスは不可分なものとして結びついている。

だから、どんなに小さな原稿でも手を抜くことはないし、どんな若輩者が編集にいても常に緊張しながら向き合うのだ。と、東さんの「緊張」を受け取った僕は勝手に解釈し、そんな姿勢に勝手に影響を受けてきた。