涙にむせぶ弁護士との面談

気ぜわしく12月は進み、半ばを過ぎてやっと1本の電話が入った。さすがに忘れなかったのか、娘の26回目の誕生日だ。「年明けにはなんとかするから」と言い、電話は切れる。娘は血のつながった父を信じたいようだった。

娘はいわゆる名門大学を卒業し、堅い仕事に就いてくれた。陰口であろうと誰にも「愛人の子」とは言わせまい。その一心で育ててきたつもりだ。

世の中はにぎやかなクリスマスイブ。心から黒い雲が去らない私は、行政の窓口に電話し、紹介してくれた弁護士との面談におよんだ。ごく親しい友人以外に、包み隠さず吐露できることに胸が詰まり、最初の一言を言うや、涙にむせんだ。

「お正月にあちらにいなくても大丈夫なのですか」と、かつて夫に聞いたことがある。「うん。元日はあなたと祥子(娘)と迎えるよ」。そう言って彼は26年間、正月は我が家で迎え続けたのだ。元日に一家の主が他家にいることを正妻が黙認し続けているのなら、こちらから余計な声をあげるのはやめよう。申し訳なさもあったが、それが暗黙のルールだと思い続けてきた。

年が明け、はじめて娘と2人きりの静かすぎる三が日を過ごした。松が取れ、私は霞が関の家庭裁判所の調停申し立ての窓口にいた。裁判を起こす気はない。自分の立場が不利なことは知っている。日本の法律は夫婦仲がどうであろうと、籍が入っている限り、正妻の味方なのだ。

私は調停申立書の用紙をもらう。円満解決を望むので、調停委員の前で、こちらの家族関係をどうしたいかや、夫に譲ると言われたマンションを維持していくための相続、費用について話をした。「話し合いたいので、表に出てきてください」という申立書である。これを提出すれば、家裁から夫に調停期日を告げる書簡が届き、拒否すれば出頭勧告がいく。いくら正妻でも口出しはできないだろう。

正妻と対峙して2ヵ月、はじめて見えた一筋の光。家裁を出てしみじみと冬の空を見上げた。3日後には夫が署名した、連絡をする期限が来るはずだ。連絡がこなければ、この申立書を家裁に出せばよい。