目の奥がジンとするほど色の濃い、アダめいたネオン看板に出会うと吸い込まれてしまう

「五輪の頃までが一番、街は凄かった」

さて、もう1軒いこう。

路地を少し行くと、今度は半世紀は灯っていそうな真紫のネオン看板を出すスナックにぶつかる。「バー」とあるが、あきらかにスナックの気配。窓もなく、なかの様子はうかがい知れない。結果的に一見客を拒むがごとき造りに、古い横丁ではよく出会う。大丈夫、一杯ひっかけてある。ヨシ、と少々勇気を掻き起して重いドアを開ければ胡蝶蘭とママの吹かすタバコのにおい。「いらっしゃい。お兄ちゃん何飲む?」。水割りを頼みカウンターに向かい合う。「いい看板ですね」、こんなところからまた話をゆるゆると聞かせてもらう。

「そりゃもうすれ違えないほどだったわよ。客が入りきれないから500円いれたポチ袋渡して引き取ってもらったりね」

タバコをくゆらせママは笑う。昭和40年代、客は引きも切らず、待ち受ける店側も大勢の女たちを揃えた。キャバレー上がりのホステスたちをこの小さなカウンター内に何人も並べたというのだが、にわかには信じられない。なんせこの夜、私が帰るまでに店のドアを開けた客は一人だけだったから。

世にいうスナック街は、元々はバーや小料理屋が前身。バーといってもこうして女性たちを置く店が多かった。高度成長期、地方から都市へ若い労働力が流入したが、夜の街には女性たちも流れてきた。「コレ1本仕入れる値段と女の子一人一日使う値段が同じ感覚だったね」と、洋酒の瓶を持ち上げながらうそぶく親父さんから聞いた昔話を思い出す。城南の飲み屋街で出会った彼は昔、バーを経営していた。「とにかく五輪の頃までが一番、街は凄かった」とも言った。女性が進出する先の少なかった時代の話。

そう、前回の東京五輪の少し前に風営法が見直され、ホステスがいわゆる「酌婦」をするバーの終夜営業は厳しくなった。だが隣に座って女性が接客しない飲食店ならOK。ということで、バーが言い訳半分「軽食」を出し、「スナック」を名乗り出したという説がある。つまり今も看板に「バー」を冠するこの店は、スナックでも古株ということ......と、昔話の愉悦だけでなく盛り場史に思いが及んでいくことも。