いま飲んで歌うという流れなら、駅前の居酒屋チェーン店で飲んで、そのあとカラオケボックスに流れる、という飲み方が定番だろう。もちろん私も、その安定の方式で飲みに行くこともある。ただ、その予定調和の楽しさに私は飽きがきてしまったのかもしれない。ハズレてもいい、ネットでの事前検索で、店の情報が何一つ検索に引っかからなくてもいい、何か今日きりの話や人に出会いたい。その欲求に毎度違った出会いを用意し、狭い箱のなかに挟まりにくる人間同士の距離を強制的に縮めてくれるのが、スナック街であり、ガード下の古い飲み屋だ。しかも私だけがこの感覚を持っているわけじゃないらしい。年輩客メインだった古い横丁に、ここ数年で私と同世代(40代)......どころか、20代の女性一人客も見かけるようになってきている。

一度目にしたら忘れられないアーチ。奥へと歩まずにはおれない酒飲みの誘蛾灯

横丁は魔窟か?

最近気になるのは、ブログやSNSが活発化したことの弊害だ。古びて狭いゆえに光のささない薄暗い路地やバラック街に、極端な「魔窟のイメージ」を投影する人々がいる。魔窟なのだから、よこしまな理由で横丁が作られていた物語も見出したい。こういう視線を持つインターネットやSNSアカウントが目に付くようになった。

私自身、昔は無知で街を色分けして見ているところがあったし、決めつけやブラックジョークを仲間内で言うこともあったが、今は恥じている。不法占拠状態も非合法な商売もあったが、それは一部であり、また戦後復興が進むにつれ多くは解消され、高度成長期頃には順次消滅していった。一方、歴史に埋もれた「キナ臭い」人物の存在と、貧困のなかで暮らす人々はそれぞれ分かれて立ち上がってきた。個人的には、この「キナ臭い」人物の功罪ある熱量、その面白さも愛する。ただしそれは横丁をキナ臭い人物の単色で染めてみることとは違う。

街の正確な情報を得るには、複数の資料を見たり聞き込みをすることが大切だが、余暇で街歩きを楽しみたいときになかなかそこまではできない。

ごく簡単な解決法がある。戦後以来の飲み屋横丁であれば、そこで一杯やって飲み食いする。そして店の親父さんや女将さん、常連さんに、こんな思いがあって、ここを見にきました。実際どんな感じだったんですか? 正直に挨拶して聞くのがいい。戦後第一世代が横丁から姿を消し、一時資料的証言が聞けなくなる一方、昔語りをしてくれる第二世代の古老たちは今もたくさん酒を飲んでいる。

彼らはすでに、横丁がどんなふうに外から見られてきたかはよくよく承知していて、よそ者の一人や二人来たって、笑い話に昇華させた昔話をしてくれる。誇張、眉唾も混じっているが、そこが魔窟でなく、ガワが古いだけの「普通の」飲み屋横丁であることが分かってくるだろう。謎があったがゆえに目に映っていた魔物がどこかに去る。言い換えれば無知が見せていた幻影が。

でも安心してほしい。何を知ろうと、今夜も路地は薄暗いままで変わらない。怪しさは消えても、妖しさは消えることはない。