今日きりの話や人に出会いたい

もう一つ例を引きたい。

神田駅前のガード下。ここも狭い。「神田小路」と俗称される飲み屋街なのだが、驚くべきことに高架下に通路2本、カウンター数席、3坪ばかりの店が10軒、共同便所までがスッポリと飲み込まれている。地面は石畳。言うなれば横丁が収納された高架下空間なのだ。

ここはスナック街ではない。ただし各店は極端に狭く、縄ノレンをくぐるといきなり店主と向かい合わせになるカウンター席の店が多い。料理も特段名物があるということでもない。ここもやはり肩をすり合わせる見知らぬ客や、店主とのやりとりを楽しめる酒場だ。

『横丁の戦後史』フリート横田・著、中央公論新社

コンクリートアーチの下、各店を無理矢理2階建てにしつらえてあるので、天井がずいぶんと低い。実はかつてはこの2階が、「青線」的使い方をされていたと、とある店の常連から聞いたことがある。天井に四角く穴が開いていて、ハシゴで店の女性とのぼってゆく。もし手入れがあったら急いでハシゴは引き上げてしまう。当然、大昔にそのような店はすべてなくなっているけれど。どこにも記録のない、こんな戦後の逸話が聞けるのも醍醐味だ。

アーチのなかを奥まで進むと、空間が急に開ける。小さな店を3コマ分借りて一店にしている親父さんの店にぶつかる。この人がまあ最初怖かった。コワモテで少々ぶっきらぼう......。ところが数回飲みに行くうちに、だんだん打ち解け、いつ頃か「おう横田、いつもありがとな」と声をかけてくれるようになった。

この店では突然、歌謡曲が流れ出す。スーツ姿のサラリーマングループが酔いが回るとカラオケを開始するのだ。「酔い、歌う」のは、太古より変わらぬ酒飲みの本能的欲求だけれど、いまどき知らないおじさんの歌を聞きながら飲むなんて機会は減っているだろう。ところが古い横丁内には、「流し」が出入りした時代の気風が、彼らが消えた今も残っている。1品・1杯いくらという居酒屋方式の店であっても、こうしてスナック同様にカラオケを据え付けている店もよく見かけ、知らない客同士マイクを回していく。狭い店の造りも手伝って、ネクタイを放り投げた男たちと私も何度肩を組んで歌ったことか。散々歌って、お互い名前も知らずに別れる。