京成線高架化用の資材置き場として、すでに一部が取り壊された立石の呑んべ横丁。北口は大規模再開発の計画も進む
戦後の庶民に活力を与えてきた飲み屋横丁。しかし老朽化、再開発のために、その多くはいまや絶滅の危機に瀕している。しかも、横丁をつくり、横丁に生きた名もなき人々の言葉や記録はほとんど残っていない。こんなときこそ「足」を使うしかない。コロナ禍以前に足繁く横丁に通った著者が、店主や常連から聞いたこととは?

※本稿はフリート横田『横丁の戦後史』の一部を抜粋・再編集したものです。

売血で得た金で呑んだ男たち

「血を売って酒を飲んだのよ」

ママは私にビールを注ぎながら言った。小さなビアタンで飲む瓶ビールはなんでこんなに旨いのか。そうか、昔話の面白さがよりそう感じさせるんだな。ここは京成立石駅北口、線路真ん前にある「呑んべ横丁」。その路地の角にある小料理屋。

駅近くに大きな製薬会社の工場があった立石は、昭和30年代はまだ売血が盛んで、自分の血を売って得たわずかの金を、モツ焼きと酒に換えてしまう男たちがいた。

ノレンをくぐり引き戸を開けると、「く」の字のカウンターが待つ。10席ほどしかない。日が落ち切ると常連のじいちゃんたちがぽつりぽつりと姿を現しそこを埋めてゆき、気付けば満席に。座って間もない我が両肩は、いつのまにか常連じいちゃんAと常連じいちゃんBの肩にふれている。これがいい。瞬時にこちらも常連Cの顔をさせてもらう。

もう自然と話がはじまる。「どこから来たんだ?」。そんなところから昔話に入ってゆく。セルロイド工場はじめ玩具製造など町工場が林立し、汗を流す職工さんらが暮らした立石の街。近くにあった赤線(あかせん)の話を聞かせてもらったり、この影深い飲み屋横丁が、かつては雑貨屋や洋品店も並ぶ商店街だった頃の話なんかも。

酔ううちに、血を売ったあとの青い顔を赤くして、眩暈(めまい)を起こそうが飲んだ男たちの姿や、日用品を求めて路地を行き来した昭和の人々の姿が、マブタの裏に浮かんでくる夢想的酩酊......と、今度は昔話の愉楽だ。

こうなってくると1軒では終わらない。ママ、じいちゃんたちに挨拶して路地に出る。

こんな路地歩き、と言おうか飲み歩きを私は10年ちょっとはやっている。