日本史を究める道をあきらめて

そこから、彼女による娘への執拗な嫌がらせが始まった。聞こえよがしに嫌みを言い、娘を仲間はずれにする。それは1年も続いた。

次年度に向け、学科内で専門コースを選択する時期にさしかかる。娘から、日本史ではなく考古学を専攻することにした、と聞いたとき、私は胸を大きくえぐられるような思いがした。それほどまでにクラスメイトとの冷えきった関係がつらかったのだろう。

2年次になると、娘の歴女魂は落ち着き、戦国時代への熱も完全に冷めていた。高価な模造剣は物置で埃を被って静かに眠っている。そして今度は、分野は違えど、考古学の教授になる、という新たな夢を抱く。机上の学問にとどまらず、他大学との交流に力を注ぎ、日帰りの発掘作業や会合、土器磨きと可能な限り参加した。

3年次には、教授から海外での発掘調査に加わらないか、と打診を受けた。これは非常に名誉なことで、参加すると人脈が広がるだけでなく、研究者の実績として相当大きなものとなる。

彼女は、一流の専門家たちに交じり、海外の僻地で発掘する自分の姿を想像したらしい。英語さえ通じない見ず知らずの土地で、蚊が飛びかうテントでの暮らし。仮設トイレもない山の奥。そんな場所でひと月も自分はやれるのか……。不安を抱く娘に、教授は「野糞だよ」と笑って言う。そんなことが平気でなければ、考古学の専門家になることは無理なのだろうか。

悩んだ娘が、「トイレが……」と教授に訴えると、「20年くらい前、優秀な女子学生を海外の発掘調査に連れていったが、毎日泣いていたよ」と言われた。それきり娘は、二度と誘われることはなかったという。発掘能力がないと判断されれば、将来への道を閉ざされることになりかねない。この出来事で娘は相当焦ったようだ。