日本の大学教育に足りないもの
日本の大学で学生を教育する上での最大の問題は、学生が勉強しないこととされてきた。その責任は大学にもあって、大学が学生を厳格に教育して、高い学識と技術を身につけさせ社会に送り出そうという思想と熱意に欠けている点が指摘される。
実際、一昔前は「大学はレジャーランドである」とまで言われ、大学には勉強するためではなく遊びに来る学生たちや、彼らの勉強意欲を引き出そうとするでもなく、つまらない授業を続ける教師たちの姿に批判的な声が上がった。
しかし大学そのものが競争にさらされる中で、さまざまな制度が導入され、多くの改革が施され始めた。そのため「レジャーランド」と揶揄された当時ほどは酷くはないだろうが、それでも大学卒業が容易ではない欧米と比較すると、大学側の教育にかける熱意やその根底をなす思想や方針において、日本の大学教育のありかたはまだ見劣りする印象がある。
だからこそ『大学はどこまで「公平」であるべきか』で詳しく述べたように、筆者の案としては教育に熱意を抱く、教育に特化した教授が増え、彼らが中心となって優れた教育を行うことを期待したい。