「翳りゆく部屋」で目覚めた《おんな唄》

19年にソロ活動を始めた当初から、カバーアルバムを制作することが決定していて、最初のレコーディングは19年の11月に終えていました。その時カバーしたのは、松任谷由実さんの「恋人がサンタクロース」と、小坂明子さんの「あなた」。

それ以外にどんな曲をカバーするのかについては、宿題として抱えたまま自粛期間に突入してしまったので、その間に歌謡曲を150曲くらい聴いて、弾き語りをして……。

一人の人間としてはコロナを憎み、感染拡大に怯えてもいたけれど、職業・歌手の宮本浩次としては、自分の基地ともいえる作業場のなかで、音楽三昧の満ち足りた時間を過ごすことができました。

私が初めてカバー曲を発表したのは2008年。エレファントカシマシのアルバムに「翳りゆく部屋」が収録されています。最初に聴いた時、恋愛をシビアな視線で分析するユーミンの鋭さに度肝を抜かれて。今にして思えば、あれが《おんな唄》に目覚めるきっかけでした。

その後、カバーソングを披露するNHKの番組から出演オファーを受け、何を歌おうかなと思っていたところ、スタッフから松田聖子さんの「赤いスイートピー」はどうかと提案されたんです。

私が口ずさんでいたのが印象的だったと聞いて、そうか、心が解放された時に俺は昭和の歌謡曲を歌うのか、と気がついた。しかも意識的に覚えた記憶はないのに、最後まで歌い通せるなんて凄いぞ、と。これは最早、細胞に刷り込まれているんじゃないかという発見がありました。

考えてみれば、僕らの世代は生まれた時から昭和の歌謡曲とともに歩んできたといえるわけで。3歳の時に、ピンキーとキラーズの「恋の季節」を歌っている私の声を母が録音していてね、自分で聴いても面白いんだけど、あのテープはどこへいったかな?