歴史家のユヴァル・ノア・ハラリ氏

地球規模に感染を広げた新型コロナウイルスが居座り続けている。14世紀の黒死病(ペスト)や20世紀初頭の「スペイン風邪」など歴史上の重大な疫病に比べれば、脅威の度合いは格段に低い。それでも既に世界で130万人を超える犠牲者が出ている。出口はまだ見えない。人類は活動の自粛、あるいは制限を余儀なくされたままだ。

人類史を独創的に活写した著書『サピエンス全史』で一躍世界に名をとどろかせたイスラエルの歴史家ユヴァル・ノア・ハラリさんはコロナ禍をどう捉えているのか。電話取材に応じてくれたお礼を言うと、「お話しできる時間は限られています。早く本題に入りましょう」と語り出した。(鶴原徹也)


※本稿は、エマニュエル・トッド/ジャック・アタリ/マルクス・ガブリエル/ユヴァル・ノア・ハラリほか『自由の限界――世界の知性21人が問う国家と民主主義』(聞き手・編 鶴原徹也/中公新書ラクレ)の一部を抜粋・再編集したものです。

人類は協力を忘れ、分裂と敵対を選びつつある

コロナ禍は季節性インフルエンザよりは厄介ですが、致死率は低い。人類の存続を脅かすような感染症ではありません。

21世紀の人類は疫病に対して強くなっています。医学の進歩の結果です。黒死病を中世の人類は黒魔術、あるいは神の怒りのせいだと信じました。それでは身を守る術はない。アジアと欧州の人口の25%以上が亡くなります。今回は疫病の発生を確認して2週間後には病原を特定している。私たちには予防の知識もあります。

真の敵はウイルスではなく、人間の心に宿る悪、つまり憎しみ・無知・強欲だと私は考えます。

「自国第一」を唱えるポピュリストの政治家らがコロナ危機は外国、あるいは国内に潜む敵の陰謀だと吹聴し、憎悪をあおっている。彼らは科学を疎んじ、科学者の忠告に従わない。コロナ対策は支障を来し、事態は悪化します。災厄こそ好機と捉え、我欲にふける商売人もいます。

進行中のワクチン開発は冷戦期の米ソ軍拡競争を想起させます。国益第一で、ワクチンは外交上の優位を得る妙薬のようです。

私たちは心に宿る善、つまり共感・英知・利他で対処すべきです。弱者をいたわり、科学を信じ、情報を共有し、世界で協力する――。

私は不安を覚えています。

世界的疫病の発生から1年近くたつのに、世界が連携協力して取り組む医療衛生計画がない。各国が勝手に動いているだけです。

世界経済の復興計画もない。各国はコロナ対策で市場から膨大な資金を調達しています。米日独など豊かな国は大丈夫でしょうが、途上国など多くの国は返済がままならず、危機に直面するに違いない。破綻する国が出れば、混乱は連鎖し、大量の移民が発生し、世界は不安定になる。

コロナ禍は高失業を招いています。一方で製造業などでIT化・自動化が一気に進んでいる。失業者の復職先が消失しています。

新しい職は創出されるでしょう。ただその職を得るには新技術の習得が必須で、大量の労働者の再訓練が必要になる。多くの国にとって手に余る課題です。米日独など体力のある国が支援しなければ、経済活動に無用とされる階層が出現しかねないのです。