「誰かと同じ空間で共生しながら、創作の脳みそを持てるのがすごいなって思っちゃうんです。」

小説を書く喜びとは

バービー 16年も書けなかった原因は、どこにあったんですか。

いとう エッセイや評論は書いてましたよ。でもフィクションだけがダメだった。ゲンナリしちゃうというか、まあ、うつ病ですよね。話がつくれないんだもん。それは苦しかったですよ。

清水 16年は長かったね。

いとう 舞台もコントも、テレビの生放送も、ほかの仕事は問題なくできるんです。むしろ楽しくてしょうがなかった。だから病気だと思ってます。怖いですよ。またいつくるかわからないし、きたらどうしよう、と思うから、いまものすごく大急ぎで書いてる。(笑)

清水 私、小説を書く喜びがどういうものなのか、正直よくわからないの。エッセイは、自分の思いをどう正直に、面白く書くかでしょ。だから達成感があるけど、自分が空想した、存在もしていない話を書いて快感は湧くの?

いとう エッセイは、自分が知っている話をどれだけ上手に書くか、で読者に喜んでもらう。つまり1人で穴を掘っているようなものです。当然、「これ以上は嘘になる」という境界線が出てきますよね。

清水 でもフィクションには、それがない、と。

いとう だから、なにもない草地にいきなり放り出されたので、面白い植物園をつくっちゃいました、みたいな感じだと思ってもらえばいいのかな。

清水 実体験できない殺人もできたりとか。

いとう でも殺す以上は、殺すだけの理由を考えてみたり、もしくは「殺した以上はこの犯人に、少しは悪いことが起きないとダメだよな」って思ってみたり、そんなことでフィクションはできあがっていくものなんですよ。