シングルマザーとして働きに働いて
これまでの上田さんの人生は、波瀾の連続だった。20代半ばの頃、シングルマザーとして生まれたばかりの子どもを抱え、経済的に困窮してしまう。知人に子どもを預けて、昼間は喫茶店、夜は居酒屋で働き始めた。
「その時ね、食べ物に関する仕事をしていれば、飢えることだけはないなと思って。両親に援助してもらい、31歳で小さな喫茶店を始めました」
マーケティングが趣味というだけあり、分析眼に長けた上田さん。たちまち飲食店経営のコツをつかむと、3年後に焼鳥店を開店。その後も居酒屋や焼肉へとジャンルを広げ、順調に店舗を増やしていく。
「子どものためと思って頑張ってきたけれど、私が53の時に一人息子が結婚したら、なんだか肩の荷が下りちゃった。これからは1人で完結できることをしようと思い、店を少しずつ閉めて、一からラーメン店を始めたんです」
ここでも上田さんの分析力が生きる。牛骨でスープを取っている店はないと気づき、研究に研究を重ねて牛骨スープのラーメンを完成。テレビや雑誌にも取り上げられ、繁盛店になった。だが、タイミング悪く、BSE(牛海綿状脳症)が世界的に流行する。とたんに売り上げは激減し、上田さんは牛骨を諦める決意をする。
薩摩軍鶏を使ったスープに切り替えて立て直しを図ったところ、今度は鳥インフルエンザが各地で蔓延。風評被害もあって、経営はどん底状態になってしまった。ローンが払えなくなり、やむなく自宅を手放したという。この時、上田さんは61歳だった。