東日本大震災までの私は、スケジュール帖にしっかりとスケジュールを書き込むタイプ。実は11年のスケジュールも、10年の末にすでに全部書き込んでいました。長編小説に取り組む場合、1日何枚と決めてスケジュールを立てないとこなせないからです。
でも震災を機に、予定をいったんすべて白紙に戻しました。だから流れに身を任せることができたのかもしれないし、人とのご縁が絡まり、今の暮らしにがっていきました。
細切れの時間のなかで書き上げた小説
20年11月、柳美里さんの小説『JR上野駅公園口』がアメリカでもっとも権威のある文学賞のひとつである全米図書賞の翻訳部門賞を受賞した。
主人公は、1964年の東京オリンピック前年に福島県相馬郡(現在の南相馬市)から出稼ぎのため上京し、後にホームレスになった男性。2006年より構想を練って取材を始めていたが、実際に小説に着手したのは震災の翌年だった。
ちょうど鎌倉と南相馬を往復する生活を始めたタイミングで書き始めたので、どうしても書く時間が寸断されることになりました。当時は原発事故や津波の被害のため常磐線が寸断されており、途中何度か代行バスに乗り換えねばならず、移動には通常以上の時間がかかります。
待ち時間がかなりあったなかで思いついたのが、スマートフォンからTwitterの鍵アカウント(本人しか見られないページ)に文字数上限の140字ずつ書いては送る、というもの。ある程度分量がまとまったところで、編集者へ送信。それをひたすら繰り返しながら、細切れの時間のなかでちょっとずつ書き上げました。
その作品が全米図書賞の最終候補に残ったのを知った時は、本当にびっくりしましたね。その頃から、地元メディアに取り上げられるようになりました。
すると本屋に来る人たちが、「取れるといいどなぁ」「なんとか取って」と言うんです。「そんな漁師が魚獲るような具合にはいかないですよ」と言うと、「そんなこと言わないで、取ってくいろ」(笑)。地元の皆さんが期待し、応援してくださるのは嬉しいのですが、プレッシャーで体調が悪くなり──。