著者より数か月後にルワンダにやってきた家族を首府のキガリ空港にて撮影

しかし私として大きな問題は、家族をつれてゆくかどうかであった。通貨基金からは、「初代総裁(オランダ人)が病気で帰ったあとの任期(5月6日まで)をとりあえずやってくれ、ルワンダ政府がおそらく任期を、少なくとも一年は延長することを希望すると思うから、そのつもりでいってもらいたい」といってきた。

そして任期が一年以上に決定した場合は、家族同伴の費用をだすということであったから、家族をつれてゆくことはすぐに決めなければならないわけではなかったが、5カ月で仕事になるわけはなく、当然一年以上いることになると予想されたから、家族を呼寄せるかどうかを検討せざるをえなかった。その際一番気になったのが治安の点である。

聞けばルワンダは独立直前に革命があり、その後もかなりの流血沙汰があったとのことである。隣のコンゴ(現在、ザイール共和国とよぶ。※1997年にコンゴ民主共和国に改称)では、独立以来血なまぐさい動乱がつづいている。ケニアのマオマオの騒ぎも記憶に新しい。自分一人ならば、少々の騒乱でもなんとか一身の処置はできると思っていても、家族をつれていっている場合、その安全まで保障できるだろうか。

私は小学校時代を過した上海で、誘拐事件の多かったことを思い起し、また、コンゴのスタンレービル事件の際にあったような、父親の見ている前で子供をなぶり殺しにしたりした光景を想像し、非常に不安であった。

結局、原則としては家族は呼寄せる、ただし、いってみた実情で、家族がきては危険とわかったときは別居もやむをえないという、きわめてあたりまえの結論になった。友人たちのもってくれた壮行会、先輩からのお祝い、忠言等、外部での華やかな雰囲気にひきかえ、家庭では身体の危険に関する深刻な会話もあったのである。

1月28日出発の日、羽田でいよいよ出国区域に私が入ろうとするとき、長男が私の手をひっぱって、
「アフリカなんかへゆくのはやめてよ、たれかほかの人にいってもらってよ」
と小声でいったので、なにもいわなかったが、両親の空気を察して、9歳の小さな胸を今まで痛めていたのだなと、その後もルワンダでときおりそのときの光景が思いだされたのである。

ルワンダ共和国の地図